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ねこひげ

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睡眠欲・写欲:これだけは絶対に外せません。これが楽しみで生きてます。
わがままなおっさんです。
どうぞよろしくお願いします!

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桃源郷を下るボンネットスタイルの特急ひばり

今日は生憎の天気となり夕方よ降雨となりました。
街路樹も雨に濡れしっとりとした紅葉を見る事が出来ました。
本日もお越しいただきありがとうございます。

この頃、億劫と言う気持ちが先に立ち、カメラを手にする機会が減っています。
深く探求しませんが季節的一過性なのか?それとも他に何かあるのか?
気の向くまま暫く流されてみようと思っています。

今日も1982年4月にタイムスリップです。
最大15往復あった東北特急を代表する特急ひばり
この2ケ月後に東北新幹線大宮駅ー 盛岡駅間の開業を控えていました。
峠の難所にある桃源郷ともこの年で見納めとなりました。
できる事ならクロサロ編成や583系の”ひばり”を撮っておきたかったですが、
ボンネットスタイルだけでも残せておけたのは良かったと思っています。
19820421_34.jpg

特急ひばり”は上越新幹線大宮駅ー新潟駅間の開業前日まで走り続けました。
当時購読していた読売新聞の記事を合わせてご紹介します。
198211_0036.jpg
<読売新聞より>

ご覧いただきありがとうございました。
撮影や更新リの励みになります。
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テーマ:鉄道写真
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タグ:特急ひばりクロサロ485系ボンネット桃源郷

鉄道泣かせの越河越え

本日もお越しいただきありがとうございます。
今日は40年前の春へのタイムスリップですが変色、ピン甘はご勘弁ください。
撮影場所は福島県と宮城県の県境にある越河峠。
東北自動車道国見ICと白石ICの間にある国見SA付近です。以前、テレ東のローカル路線バス乗り継ぎ人情ふれあい旅第5弾。みちのく奥州街道 日光~松島編で直売店の方の車に便乗し、宮城県最初のバス停に向かったシーンです。

日暮れ近い桃源郷の中を3台の機関車が貨車を牽いてやって来ました。
越河越えの何気ない三重連と油断していたら…。
19820421_80.jpg

EF75 0番台(M形)を先頭にED71一次形と二次型の垂涎の三重連でした。
19820421_81.jpg

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タグ:越河越えED75ED71三重連桃源郷

消えた車窓 標津線 泉川駅

今日は朝から青空が広がり行楽日和となりました。
多くの方が紅葉狩りに行かれたんでしょうね?
本日もお越しいただきありがとうございます。

今日は回想録で消えた車窓です。
釧網本線標茶駅から分岐し根釧原野を走り国後島が見える標津町を結んでいた標津線
起点の標茶駅から12.7kmに位置し根釧台地の入り口にあった泉川駅
開業は1944年(昭和19年)5月1日泉川仮信号場として新設され、1952年(昭和27年)3月25日駅に昇格。そして、1989年(平成元年)4月30日の標津線全線廃止に伴い廃駅となりました。
19861106_0008.jpg

この泉川駅は、1986年(昭和61年)11月1日、駅員配置を終了し、同時に交換設備の運用を停止と記載されています。しかし、国鉄最後のダイヤ改正を過ぎた1986年11月6日には、交換列車は無いもののタブレット授受は行われていました。この時は、駅舎と交換設備は残っていたようですね。
駅名標の奥に見える建物、ホーム左奥に見える民家は消滅しているようです。
19861106_0009_1.jpg
4323D:キハ22 266:1986.11.06 Thu

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タグ:標津線泉川駅廃駅廃止根釧原野根釧台地

1986年10月31日で消えた石北本線の車両

今日も晴天に恵まれ日中の気温が20℃を超え雲ひとつない夕日。
そんな時に限ってカメラを手にできない悔しさに襲われました
本日もお越しいただきありがとうございます。

お得意の回想録と行きましょうかね。
旭川⇔網走間の237.7kmをDD51に牽かれ、のんびりとした走りの50系51形客車。通称レッドトレイン。網走6時42分発旭川着13時53着の534レの表定速度は約33km/h。下りは旭川を11時48分に出て網走着が19時29分。所要時間7時間41分で表定速度は約31km/h。原付バイクの法定速度と同じと思われますが、停車時間を含んでいますので実際は軽快な走りを見せていました。
石北本線難所のひとつの常紋越えも総出力2200Psのデデゴイには役不足でした。
19861028_0217.jpg
534レ:DD51 1094+PC51*2:金華ー常紋信号場:1986.10.28

中愛別駅で上り”おおとり”と行き違い交換する531列車。全世界の鉄道車両で一番のお気に入りのキハ80系特急気動車ですので、車掌が2名乗務していたなんて、まったく気が付きませんでした。
19861026_0023.jpg
531レ:DD51+PC51×2:中愛別駅

↑の列車に乗車中に奥白滝駅でDC急行”大雪2号”との列車交換。
相対式ホームのため客車の二重窓を開けての連写撮りしたひとこまです。
19861026_0029.jpg
512D:大雪2号:キハ53 505:奥白滝駅:1986.10.26

気動車急行”大雪”は旭川⇔興部・名寄間(遠軽駅経由)を結んでいました。
デビューから多層階の急行でしたが、1984年(昭和59年)から1両での運転となりました。主にキハ22が使われていましたが、時にはキハ40も使われていたようです。
1986年には、2エンジン車のキハ56を両運転台化改造した、キハ53形500番台車が誕生しました。急行”大雪”にも使われ、名寄本線内はローカル列車として同年10月31日まで活躍し、1963年(昭和38年)6月1日にデビューした気動車急行”大雪”に幕が下りました。
開盛駅を発車し遠軽駅に向かう廃止3日前に撮ったキハ53505です。
1両の気動車に場内・遠方腕木式信号がイイ味出しています。
19861029_0184.jpg
1623D:キハ53 505:名寄本線:開盛ー北遠軽:1981.10.29

1986年10月31日の与太話にお付き合いいただきありがとうございました。
駅名は当時の使われていた名称で、現在は廃駅、信号場に格下げされています。

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タグ:石北本線常紋越え急行大雪531レ534レ特急おおとり

交換待ちのキハ40と183系オホーツク @1986年当麻駅

天候に恵まれた週週の半ばの水曜日。
折角の休みも掃除洗濯布団干し。やがて夕暮れ。
そして、今日一日もあっという間でした。
本日もお越しいただきありがとうございます。

昨日に引き続き回顧録です。
石北本線上川駅始発のタラコ色の二連のキハ40。上川を出て35分ほどで当麻駅に到着すると、下り列車との交換待ち合わせのため停車アナウンス。
第5石狩川橋梁で狙おうとしていたが橋梁工事でパスした”オホーツク1号”をホームで待ち伏せ。暫くするとスラントノーズの”オホーツク1号”がカーブから姿を現しました。
その列車の前方には勝手踏切の一部が写っています。
19861026_0285.jpg
540D/21D:キハ40×2/キハ183系7連/当麻駅/1986.10.26 Sun

駅員がホームに出て通過の安全確認をしています。
19861026_0286.jpg

線路を挟んだ両側には切り出された木材が積まれ、林業を生業にしているの企業が二社がありました。かつては、左側の会社内へ引き込み線があったようですが、Google Earthで確認すると辺りは一変していました。
19861026_0288.jpg

列車を追うのでズーミング。薄くはなっているものの、農協農業倉庫と書かれたレンガ倉庫がありました。その姿は、今でもGoogle Earthで確認できます。
また、右側には一部がコンクリート製の電柱となっているものの、木製の電柱がずらりと線路と平行に立っています。通称”ハエたたき”と呼ばれる電信柱が残っていました。
19861026_0294.jpg

そして、2002年(平成14年)の旭川紋別自動車道の開通によって大きく様変わりし、JR単独では維持することが困難な線区に転落。遠方の身にしてみれば、鉄道で運ばれて来ただろう北見産の玉ねぎを買うくらいしか応援できない歯痒さを感じました。

36年前の思い出話にお付き合いいただきありがとうございました。
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タグ:キハ183キハ40レンガ倉庫当麻駅ハエたたき勝手踏切