ゆいレール壺川駅から徒歩で約10分の所にある壺川東公園のです。
昨年の6月26日の夕方、乗り継ぎ時間2.5時間という限られた時間で、沖縄県営鉄道のレールと南大東島で働いていた加藤製10トンディーゼル機関車を見て来ました。那覇空港から日本最南端の駅ゆいレール赤嶺駅を素通りして、ここ壷川東公園にやって来ました。その後、国際通りのステーキハウス88(やすはち)国際通り店で慌ただしく夕食を摂ると、フライト時間まで30分をきり、国際通り→空港の間ををタクシーで移動。最終便の登場手続きに間に合うのかと思う冷や汗と、外気の暑さの大汗を掻きながら慌しく回りました。

陽は傾き加藤君は木陰に入ってしまっているので、午前中に訪問が良いみたいです。

平凡な分岐部分ですが何か違いを感じ取れましたでしょうか?

赤く線を引いた所に、沖縄県営鉄道の那覇を始発駅とした与那原(よなばる)線が(那覇ー古波蔵)通っていた所に、壷川東住宅建設工事の時に出土したレールを展示していたようですが、その功績が無残にも跡形も無くなっていました。(何年か前にレールは盗難に遭い、その後枕木も撤去したとの事です。)
第二次世界大戦で壊滅的被害を受け、廃線を余儀なくされた沖縄県営鉄道。沖縄戦を見届けた証が、盗難の一言では言い尽くせない思いでその場を去りました。2001年~2003年は、何度となく沖縄本島を訪れていたのに、一度も訪れなかった事を今更ながらに後悔しています。念願は南大東島へ行き、シュガートレインの廃線跡や車両を見て来たいのですが、航空運賃は高いし、船酔いするオイラには痛し痒しです。トホホ…

沖縄の軽便鉄道
沖縄では、本土の汽車よりも規格が小さい軽便鉄道(けいべんてつどう)というものが1945年(昭和20年)まで走り人々からは「ケービン」と呼ばれ親しまれてきました。 軽便鉄道が最初に運行したのは1914年(大正3年)のことで、那覇駅(現在の市外線バスターミナル)を起点に、東海岸の港町である与那原町を結んだ与那原線と那覇港(現在の那覇埠頭)へ延びる海陸連絡線でした。 その後、1922年(大正11年)には嘉手納線が、1923年(大正12年)には糸満線が開通し、全延長距離は48.032kmになりました。 軽便鉄道は、1945年(昭和20年)沖縄戦で破壊されるまで沿線の多くの人々を乗せて走り、また、さとうきび等も大量に運搬できたため当時の沖縄の産業振興にも大きな役割をはたしました。 ここ壺川東公園は、当時の那覇駅と壺川駅の間に位置しています。またここに展示している機関車はかつて軽便鉄道が走っていた場所とほぼ同じ位置に設置されています。
(説明文から抜粋)

5号機のキャブ内です。計器は残っている感じです。
子供たちの秘密基地として、第二の人生を過ごしているのでしょうか!?

1913年ヘンシェル製蒸機(大日本製糖1号)の足回りとの事です。

ここに設置しているのは南大東島でさとうきび等を
運搬するのに使われていたディーゼル機関車と蒸気機関車(下部)です。
蒸気機関車の煙突やタンクは残っていませんが車輪に取り付けられた
連結棒が蒸気機関車のおもかげを残しています。
寄贈 機関車及びレール
(株)リウエン
社長 宮城 仁四郎
(説明文から抜粋)
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