草生した線路の続きです。

湯前駅より50メートルくらい東方まで線路が延び、その先にコンクリート製の車止めがありました。その車止めにピッタリと張り付き、終着駅の感じを出せれば。と思い車止標識を入れてモノクロフィルムで記録に残しました。

帝国書院 新詳高等地図より一部転載
改正鉄道敷設法によると、熊本県湯前ヨリ宮崎県杉安ニ至ル鉄道との項目がありました。『湯前線』は『くま川鉄道』として残りましたが、山向こうの杉安駅があった『妻線』は、1984年(昭和59年)11月30日に廃止となってしまいました。

九州色のキハ58522と国鉄色のキハ28です。

ボツ画像ですが夜の免田駅で押えた、上の列車の国鉄色側です。

繁忙期(8月13日撮影)なので4両編成です。
20年前は、当たり前のように見られた国鉄色。
今のご時世では涎が出るほどの編成ですね!

サボも押えておきました。
ボツ画像のHMを含め3種類確認できましたが、
当時は何種類のHMがあったのか気になります。

JR時代の入場券と乗車券がありましたので、ご参考までに。

湯前駅より50メートルくらい東方まで線路が延び、その先にコンクリート製の車止めがありました。その車止めにピッタリと張り付き、終着駅の感じを出せれば。と思い車止標識を入れてモノクロフィルムで記録に残しました。

帝国書院 新詳高等地図より一部転載
改正鉄道敷設法によると、熊本県湯前ヨリ宮崎県杉安ニ至ル鉄道との項目がありました。『湯前線』は『くま川鉄道』として残りましたが、山向こうの杉安駅があった『妻線』は、1984年(昭和59年)11月30日に廃止となってしまいました。

九州色のキハ58522と国鉄色のキハ28です。

ボツ画像ですが夜の免田駅で押えた、上の列車の国鉄色側です。

繁忙期(8月13日撮影)なので4両編成です。
20年前は、当たり前のように見られた国鉄色。
今のご時世では涎が出るほどの編成ですね!

サボも押えておきました。
ボツ画像のHMを含め3種類確認できましたが、
当時は何種類のHMがあったのか気になります。

JR時代の入場券と乗車券がありましたので、ご参考までに。
