

わたらせ渓谷鐵道の車両と田植え前の水が張られた水田が一緒に撮れる所はないか?と、トロッコわたらせ渓谷号やEast i-Dを撮る前に、思い当たる所を探し出す事にしました。国道から代掻き作業が目に留まり俯瞰場所へ。列車が来るのを待つ事にしました。その時突然にスズメバチが飛んで来ました。偵察行為だったのでしょうか?辺りを飛び回り静かに様子を伺っていると、どこかへと飛んで行ってしまい事無きを得ました。場所的状況から察すると、樹洞や土の中に営巣するオオスズメバチではないでしょうか? 兎に角あのダークなオレンジ色と黒の模様は、威圧感ありまくりで熊以上に注意が必要です。当分ココには行きません!
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East i-D(イーストアイ・ディー)の愛称を持つ、東日本旅客鉄道(JR東日本)キヤE193系気動車検測車が、今年もわたらせ渓谷鐵道に入線してきました。昨年は平日にでしたが、今回は土曜日に行われトロッコわたらせ渓谷号も運転されるので、どちらを優先するか悩みどころでした。


♪いつものよう~に昨日は仕事明けで、わたらせ渓谷鉄道の検測車を撮り出かけたのですが、うたた寝のつもりが爆睡モードに!
楽しみにされていた方、画像アップできなくて申し訳ないです。
そして、今日も出かけているので、昨日のキヤ検と今日の小湊は暫くお待ちください。


昨日は、わたらせ渓谷鉄道に出没しましたが、今日は千葉まで送りに行ったついでに、こんな所に出没してます。
木々の葉がしっとりと濡れているので、晴天とは違った趣があります。
当たり前の事ですが、お仲間さんの姿は見当たりません。
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飛騨の山間を縫い飛騨川や宮川などの流れに沿い、中京と北陸を結ぶ高山本線。本州内の『○○本線』と数ある中で、唯一の地方交通線に分けられる路線。その沿線には、日本三名泉の下呂温泉・飛騨の小京都高山市があり、観光路線としての性格を持っています。
白川口駅を過ぎると(下り列車)、今までは飛騨川右岸を走っていた線路は、国道41号線と飛騨川をカーブした鉄橋で左岸へ渡り、トンネルを二つ過ぎると時刻表には載ってない鷲原信号所があります。この第一飛騨川橋梁は鉄道写真の撮影場所として凄く有名で、よほどの事が無い限り立ち寄る場所ではないでしょうか!? オイラは二度目の訪問で訪れましたが(汗
第一飛騨川橋梁は
供 用: 1928年(昭和3年)3月21日
延 長: 285.07m
構 造: 単線上路プレートガーダー橋 13連
区 間: 白川口駅-(鷲原信号所)-下油井駅
所在地: 岐阜県加茂郡白川町

<1990年3月>
老朽置き換えとワンマン運転の拡大用として投入された、新潟鐵工所(現・新潟トランシス)製のキハ11形0番台。

<ひだ2号>
内側に架かるケーブルを支える支柱の処理が、オイラ的には難しい第一飛騨川橋梁です。5両じゃなく6両編成だったら違った感じになったのかも!?

<のりくら1号>
左手前からキハ58+キロ28+キハ28+キハ58+キハ28+キハ58の6両編成です。
後ろ4両が名古屋⇔高山間・前2両は名古屋⇔富山間の運転でした。
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- 宮川


<19:38>

<20:18>
先週の月曜日からアパート周りの工事が始まり、その工事により地植えの紫陽花の掘り起こしに汗を流しました。この時期の移植は枯れてしまう危険性大なのですが、思い出のある物なのでダメ元で親株を大きな植木鉢(27号鉢)に移植。その作業が終わり空を見上げると、細い月と金星が接近していて絵に描いたような姿が見られました。
日本では並んだ姿しか見られませんが、東南アジアでは金星が月に隠される『金星食』になるとか!? 日本で『金星食』があったのは、7年前の2003年の5月29日の昼過ぎだったそうです。今夜見逃した方は、2年2ヶ月後の2012年8月14日に見られるとの事です。今夜は寄り添っただけだったので、次回の『金星食』が今から楽しみです!
タグ:金星食

富内線シリーズの第三弾です。
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富内線 後方動画の続きで、今回は前面展望編です。
日高三岡を発車後、程なくしてから途中からの始まりで岩知志までです。富内線のハイライトだった第四・第三沙流川橋梁を渡ります。
お願い
当時の日高岩内-日高三岡間には、短いのと長い二つのトンネルが存在していました。この動画を見て長い方のトンネル名が分かる方がおりましたら、ぜひ教えて下さい。宜しくお願いします。
日高三岡を発車後、程なくしてから途中からの始まりで岩知志までです。富内線のハイライトだった第四・第三沙流川橋梁を渡ります。
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金山線として北海道鑛業鐵道の手によって、現在の沼ノ端駅から東方へと線路を延ばし、沿線のクロム鉱や石炭・森林資源の開発を目的に建設されました。その金山線の線路跡は、日高自動車道・国道235号線の一部や、その他の道路として形を変えています。石油共同備蓄基地を過ぎる辺りで、日高自動車道・国道235号線は南へと一旦向きを変えますが、道路に変わった線路跡は道々259号線として上厚真に向かいます。さらに厚真川を渡った線路跡は、道々1046号線となって丘を越え、途中で道々983号線となって水田の中を走り、現むかわ町豊城地区から鵡川沿いに北上し、1923年(大正12年)富内まで開業しましたが、この路線も過酷を極めた建設工事で、死亡者・逃亡者が続出したそうです。そして、その翌年には北海道鑛業鐵道から北海道鉄道に社名を変更。富内開業から20年の月日が流れた1943年(昭和18年)金山線も戦時買収で国有化されました。その際、金山線の沼ノ端-豊城間と日高本線の苫小牧-鵡川間が、およそ3~6㌔の間隔で平行する形の路線だったため、鵡川から豊城を結ぶ線路を建設して沼ノ端~豊城間を営業休止に。これにより富内線は室蘭本線の支線から、日高本線の支線に変更となりました。
富内以遠も戦時買収以前から延伸工事を進めていたようですが、殊に富内~振内間の日振トンネル工事は、掘り進んでも土圧ですぐ崩れたり、落盤が相次ぎ最大の難所だったようです。その上、戦争による工事中断や地質の困難さから、1958年(昭和33年)にようやく富内-振内間の延伸開業。それから約6年の歳月が流れた1964年(昭和39年)11月5日日高町まで延伸し全線開業に…!?
更に延伸することなく、その22年後の1986年(昭和61年11月1日)全線廃止。

全線廃止の時に鵡川駅に置いてあったスタンプです。 大正2年10月1日開業は日高本線時代のモノで、富内線が鵡川起点になったのは1943年(昭和18年)11月1日です。

<帝国書院 新詳高等地図 昭和42年版より一部抜粋>
北海道鑛業鐵道の手によって着手された金山線。改正鉄道敷設法別表では『胆振國鵡川ヨリ石狩國金山ニ至ル鐡道及「ペンケオロロツプナイ」附近ヨリ分岐シテ石狩國登川ニ至ル鐡道』と『十勝國御影附近ヨリ日高國右左府ヲ經テ胆振國邊(辺)富内ニ至ル鐡道 』となっていたようです。一口で言うと『鵡川と金山を結び、その途中(占冠?)から分岐して登川に行く路線』と『御影付近から左右府(日高町)を通って富内に行く路線』って事でしょうかねぇ?
上の地図を見れば、予定線が点線で書かれているので一目瞭然ですが、改正鉄道敷設法とは一部異なっています。また、予定線上の占冠は、日高・夕張の2大山脈に挟まれ、全域が鵡川水系に属し境界がはっきりした分水嶺から成り立ち、地形は擂り鉢の底のようになっています。地形的条件から,かつては「陸の孤島」と呼ばれていた占冠も,1981年(昭和56年)10月1日石勝線の開通。しかし、占冠~金山間と日高町~占冠間は工事実施計画未認可のまま計画消滅となりました。

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富内以遠も戦時買収以前から延伸工事を進めていたようですが、殊に富内~振内間の日振トンネル工事は、掘り進んでも土圧ですぐ崩れたり、落盤が相次ぎ最大の難所だったようです。その上、戦争による工事中断や地質の困難さから、1958年(昭和33年)にようやく富内-振内間の延伸開業。それから約6年の歳月が流れた1964年(昭和39年)11月5日日高町まで延伸し全線開業に…!?
更に延伸することなく、その22年後の1986年(昭和61年11月1日)全線廃止。

全線廃止の時に鵡川駅に置いてあったスタンプです。

<帝国書院 新詳高等地図 昭和42年版より一部抜粋>
上の地図を見れば、予定線が点線で書かれているので一目瞭然ですが、改正鉄道敷設法とは一部異なっています。また、予定線上の占冠は、日高・夕張の2大山脈に挟まれ、全域が鵡川水系に属し境界がはっきりした分水嶺から成り立ち、地形は擂り鉢の底のようになっています。地形的条件から,かつては「陸の孤島」と呼ばれていた占冠も,1981年(昭和56年)10月1日石勝線の開通。しかし、占冠~金山間と日高町~占冠間は工事実施計画未認可のまま計画消滅となりました。

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1986年11月1日に全線廃止となった富内線の日高町駅を後にする風景を、キハ22のデッキから撮った後方動画です。また、駅舎などの写真とキハ22のエンジン音に合わせた静止画が最初の部分に入れてあります。20年以上のモノなので画質は良くありませんが、当時を知っている方には懐かしいのではないでしょうか?

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部縦貫鉄道レールバス(西千曳⇒野辺地)の前面展望の最終回です。
最後までご覧いただいた皆様ありがとうございました。
そして、もうお腹一杯と言われてしまいそうですが…、
下り七戸行きも違うアングルでの動画を作ろうかと企んでいます。
最後までご覧いただいた皆様ありがとうございました。
そして、もうお腹一杯と言われてしまいそうですが…、
下り七戸行きも違うアングルでの動画を作ろうかと企んでいます。
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- レールバス エバーグリーン賞を受賞した日
- 前面展望動画 南部縦貫鉄道 その5
- 前面展望動画 南部縦貫鉄道その4
- 前面展望動画 南部縦貫鉄道その3
- 前面展望動画 南部縦貫鉄道その2
- 休止(廃止)を実感した日

キハ80系気動車を使用してきた道内の特急列車は、設備の陳腐化と酷寒地での使用による車体の腐食・凍結・着雪による故障や踏面剥離現象が多発。『雪と寒さに強い』特急形気動車の開発が進められ、スラントノーズ形の今までになかったスタイルで1979年に完成しました。1980年から1年半ほどの試用期間を経て、1981年10月から量産車の使用を開始。1986年11月の国鉄最後のダイヤ改正で、各部の大規模な設計変更がされた500番台(N183系)が投入され、1986年10月31日の函館23:56着『北海4号』を最後に、80系気動車の定期運用を完全に淘汰しました。その後、国鉄が民営化された1987年4月1日からひと月ほど過ぎた、5月の連休に撮影したキハ183系『北斗』の混色編成です。

<仁山ー大沼>
center>
道道338号線は大沼トンネル(国道5号線)の上下線分離工事により、S字付近に立体交差のアプローチ部分が来てしまい、カーブを描きながら峠下トンネルに向かうアングルは消滅してしまいました。

<仁山ー大沼>
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道道338号線は大沼トンネル(国道5号線)の上下線分離工事により、S字付近に立体交差のアプローチ部分が来てしまい、カーブを描きながら峠下トンネルに向かうアングルは消滅してしまいました。
