金山線として北海道鑛業鐵道の手によって、現在の沼ノ端駅から東方へと線路を延ばし、沿線のクロム鉱や石炭・森林資源の開発を目的に建設されました。その金山線の線路跡は、日高自動車道・国道235号線の一部や、その他の道路として形を変えています。石油共同備蓄基地を過ぎる辺りで、日高自動車道・国道235号線は南へと一旦向きを変えますが、道路に変わった線路跡は道々259号線として上厚真に向かいます。さらに厚真川を渡った線路跡は、道々1046号線となって丘を越え、途中で道々983号線となって水田の中を走り、現むかわ町豊城地区から鵡川沿いに北上し、1923年(大正12年)富内まで開業しましたが、この路線も過酷を極めた建設工事で、死亡者・逃亡者が続出したそうです。そして、その翌年には北海道鑛業鐵道から北海道鉄道に社名を変更。富内開業から20年の月日が流れた1943年(昭和18年)金山線も戦時買収で国有化されました。その際、金山線の沼ノ端-豊城間と日高本線の苫小牧-鵡川間が、およそ3~6㌔の間隔で平行する形の路線だったため、鵡川から豊城を結ぶ線路を建設して沼ノ端~豊城間を営業休止に。これにより富内線は室蘭本線の支線から、日高本線の支線に変更となりました。
富内以遠も戦時買収以前から延伸工事を進めていたようですが、殊に富内~振内間の日振トンネル工事は、掘り進んでも土圧ですぐ崩れたり、落盤が相次ぎ最大の難所だったようです。その上、戦争による工事中断や地質の困難さから、1958年(昭和33年)にようやく富内-振内間の延伸開業。それから約6年の歳月が流れた1964年(昭和39年)11月5日日高町まで延伸し全線開業に…!?
更に延伸することなく、その22年後の1986年(昭和61年11月1日)全線廃止。

全線廃止の時に鵡川駅に置いてあったスタンプです。 大正2年10月1日開業は日高本線時代のモノで、富内線が鵡川起点になったのは1943年(昭和18年)11月1日です。

<帝国書院 新詳高等地図 昭和42年版より一部抜粋>
北海道鑛業鐵道の手によって着手された金山線。改正鉄道敷設法別表では『胆振國鵡川ヨリ石狩國金山ニ至ル鐡道及「ペンケオロロツプナイ」附近ヨリ分岐シテ石狩國登川ニ至ル鐡道』と『十勝國御影附近ヨリ日高國右左府ヲ經テ胆振國邊(辺)富内ニ至ル鐡道 』となっていたようです。一口で言うと『鵡川と金山を結び、その途中(占冠?)から分岐して登川に行く路線』と『御影付近から左右府(日高町)を通って富内に行く路線』って事でしょうかねぇ?
上の地図を見れば、予定線が点線で書かれているので一目瞭然ですが、改正鉄道敷設法とは一部異なっています。また、予定線上の占冠は、日高・夕張の2大山脈に挟まれ、全域が鵡川水系に属し境界がはっきりした分水嶺から成り立ち、地形は擂り鉢の底のようになっています。地形的条件から,かつては「陸の孤島」と呼ばれていた占冠も,1981年(昭和56年)10月1日石勝線の開通。しかし、占冠~金山間と日高町~占冠間は工事実施計画未認可のまま計画消滅となりました。

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富内以遠も戦時買収以前から延伸工事を進めていたようですが、殊に富内~振内間の日振トンネル工事は、掘り進んでも土圧ですぐ崩れたり、落盤が相次ぎ最大の難所だったようです。その上、戦争による工事中断や地質の困難さから、1958年(昭和33年)にようやく富内-振内間の延伸開業。それから約6年の歳月が流れた1964年(昭和39年)11月5日日高町まで延伸し全線開業に…!?
更に延伸することなく、その22年後の1986年(昭和61年11月1日)全線廃止。

全線廃止の時に鵡川駅に置いてあったスタンプです。

<帝国書院 新詳高等地図 昭和42年版より一部抜粋>
上の地図を見れば、予定線が点線で書かれているので一目瞭然ですが、改正鉄道敷設法とは一部異なっています。また、予定線上の占冠は、日高・夕張の2大山脈に挟まれ、全域が鵡川水系に属し境界がはっきりした分水嶺から成り立ち、地形は擂り鉢の底のようになっています。地形的条件から,かつては「陸の孤島」と呼ばれていた占冠も,1981年(昭和56年)10月1日石勝線の開通。しかし、占冠~金山間と日高町~占冠間は工事実施計画未認可のまま計画消滅となりました。

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