走行中でも自由に客用扉を開閉できるため乗客の転落する危険があり、保安上の問題となっていた旧型客車に変わり、1977年に登場した50系客車。当時は、北は北海道から南は九州まで、日本全国何処でも見る事ができた客車でした。しかし、悲しい事に既に電車化が進んでおり、登場してからの活躍期間はあまりにも短かった気がします。

三セク転換前の田川線(現平成筑豊鉄道田川線)には、田川後藤寺⇔門司港間を朝夕一往復の客車列車がありました。その上、腕木式信号機やタブレット閉塞で列車の運行を行っていました。そんな風景を見たい!と、朝の油須原駅へお邪魔しました。ここの駅長さんに暖かく接していただき、せっかくだから普段撮れない所で撮りなさい。と中線を撤去した所で駅長さん監視の下、撮らせていただきました。

暖かく接してくださった駅長さん。

朝靄がかかっり涼しい朝のなか、終点門司港へ向け発車していきました。

三セク転換前の田川線(現平成筑豊鉄道田川線)には、田川後藤寺⇔門司港間を朝夕一往復の客車列車がありました。その上、腕木式信号機やタブレット閉塞で列車の運行を行っていました。そんな風景を見たい!と、朝の油須原駅へお邪魔しました。ここの駅長さんに暖かく接していただき、せっかくだから普段撮れない所で撮りなさい。と中線を撤去した所で駅長さん監視の下、撮らせていただきました。

暖かく接してくださった駅長さん。

朝靄がかかっり涼しい朝のなか、終点門司港へ向け発車していきました。
- 関連記事
-
- ハイパーカラーのDE101756
- ふれあいGO
- 415系 よかトピア号
- 懐かしき50系客車
- 新天地での再開
- 485系 にちりん
- 草生した線路 その3
