
今から四半世紀前の1986年9月18日。
国鉄宮津線丹後由良駅から豊岡駅へと向かう列車から車窓を楽しんでいると、宮津駅を出て直ぐに南へと伸びる路盤が目に入りました。あぁ!これが福知山へと繋がる
宮守線として計画され、後に宮福鉄道
宮福線となるのかぁと。前日は、保津峡駅から普通列車で乗り継いで天橋立へと来てしまったので、乗り換えは当然と思ってました。当時京都発の急行や特急、新大阪・大阪発の急行で宮津に向かうと、綾部か福知山それと西舞鶴で、列車の進行方向が2度変わり、10分程度のタイムロスを余儀なくされる不便さがあり、福知山と宮津を結ぶ鉄道計画は古く、1887年(明治20年)からあったようです。
続く
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