キハ82系特急南紀 荷坂峠に挑む vol 3

<1991.08 3006D 6×7>
<先頭車キハ8297>
1986年11月北海道から定期運用から外れ、極寒の地で見られた何両かは、はるばる津軽海峡を渡り温暖な地に落ち着き、最後の牙城となったキハ82系。この頃になると、沿線のあちらこちらでお仲間さんを見る事が多くなりました。しかし、この場所では誰一人会う事もなく、聞こえてくる音は蝉の声と風に吹かれる木々のざわめき、時折国道から爆音でした。キハ81同様この路線が終焉の地になる事を思うと、80系気動車の見えぬ宿命なのか?と、複雑な気持ちで南紀の通過を待っていました。
最初に片上トンネル脇に立ったのは、DF50さよなら運転が行われた翌日の1980年3月2日。前日の雨も上がりバイクで訪れた身にとっては暖かな日でした。77年8月号レールガイNo09ディーゼル特急/下津井電鉄や79年4号のレールガイNo29紀勢本線/DF50・くろしおの記事に魅せられ、荷坂峠からの俯瞰に憧れていました。荷坂トンネル(国道)の紀伊長島寄り海側に駐車スペースがあり、その近くの歩道から荷坂トンネルと片上トンネルの間に、3両弱の線路が見える場所がありました。しかし、その場所は車道と一段高くなっている歩道わけではなく、ラインで分けられていたと記憶しています。そんな所で背面を通る車に気を取られながら、カメラを構えるのは嫌だし光線状態良くないなぁ…。辺りを見回すと下へと伸びる道を発見!試しに下りてみる事に。
国道から7~8分位で線路脇に出られたものの、思った通りロケーションが良くない。紀伊長島方面に進むと片上トンネルが行く手を阻む。これまでか!と片上トンネルポータル付近を見回すと…。トンネル脇に向こう側に行けそうな獣道があった。ダメ元で行ってみる事に…。

<1980.03.03 1D>
トンネルを通る事無く紀伊長島側に来られてしまい、暫くするとキハ825を先頭の南紀が、カーブした片上トンネルから顔を現しました。文字だけのヘッドマークが今では懐かしいです。

<1980.03.03 1D>
伊勢の国から

<1980.03.03 4D>
色褪せてしまいましたが、先頭車はキハ8242です。
何年か前に片山トンネル上部に熊野古道荷坂峠越えの道が通っていたのを知り、あの時に何の道だろうと思っていた道が、まさか世界遺産に指定された熊野古道>とは夢にも思いませんでした。そして今、熊野古道から片上橋梁の俯瞰撮影を撮った画像や動画を知り、もう一度!と言う気持ちが一層募りました。
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