諏訪峡を行く583系12連
ネタ枯渇?と言う訳ではないけれど紅葉がらみで…。
今から遡る事22年前の1991年。国際オリンピック委員会の総会で、第18回冬季オリンピックが1998年に長野での開催決定。既に北陸新幹線の工事は着工中。オリンピックの開催に合わせるように工事が進められていた。上越新幹線高崎で分岐して、軽井沢・長野・上越・富山・金沢を経て大阪に至る整備新幹線でした。
高崎での分岐は大宮駅のように、東北新幹線に並行した上越新幹線の線形になる計画でした。しかし、高崎駅での下り線分岐は、大宮駅のようにならず、上毛高原側に3.3km行った所で分岐しています。これは、上越新幹線の線路を一部共用する事で、用地買収を抑え総事業費の抑制につながりました。その代りに、高速で通過できる分岐器を、JR東日本・鉄道建設公団・鉄道総合研究所で共同開発・導入されました。
この分岐器設置工事のために、1995年10月22日(日)・25日(水)・29日(日)の3日間。上越新幹線初の高崎駅初発から13時(25日は11時)まで、高崎-越後湯沢間で大規模な区間で全面運休を実施。東京-高崎・越後湯沢-新潟間は折り返し運転を行いました。運休区間は、在来線を使って振替輸送が行われました。
振替輸送には、新特急谷川号の越後湯沢までの延長運転。JR東日本の各エリアから特急車両が集められ、G車を含め全車自由席の臨時特急「新幹線リレー号」が運転されました。応援に借り出されたのは、189系・489系と583系でした。今思えば、189・489系は特急「あさま」の合い間運用だったんでしょね。
既にお気付きと事と思うが、583系のMM'ユニットが逆。つまり編成が方転した形となってます。M'n(モハネ582)は上野方で、編成はTnc3+M'n+Mn+M'n+Mn+Ts(+M'n+Mn+Tn)+M'n+Mn+Tnc3と記憶しています。
もし189・489系が国鉄色であったなら、上越特急を彷彿さた事でしょう。

今から遡る事22年前の1991年。国際オリンピック委員会の総会で、第18回冬季オリンピックが1998年に長野での開催決定。既に北陸新幹線の工事は着工中。オリンピックの開催に合わせるように工事が進められていた。上越新幹線高崎で分岐して、軽井沢・長野・上越・富山・金沢を経て大阪に至る整備新幹線でした。
高崎での分岐は大宮駅のように、東北新幹線に並行した上越新幹線の線形になる計画でした。しかし、高崎駅での下り線分岐は、大宮駅のようにならず、上毛高原側に3.3km行った所で分岐しています。これは、上越新幹線の線路を一部共用する事で、用地買収を抑え総事業費の抑制につながりました。その代りに、高速で通過できる分岐器を、JR東日本・鉄道建設公団・鉄道総合研究所で共同開発・導入されました。
この分岐器設置工事のために、1995年10月22日(日)・25日(水)・29日(日)の3日間。上越新幹線初の高崎駅初発から13時(25日は11時)まで、高崎-越後湯沢間で大規模な区間で全面運休を実施。東京-高崎・越後湯沢-新潟間は折り返し運転を行いました。運休区間は、在来線を使って振替輸送が行われました。
振替輸送には、新特急谷川号の越後湯沢までの延長運転。JR東日本の各エリアから特急車両が集められ、G車を含め全車自由席の臨時特急「新幹線リレー号」が運転されました。応援に借り出されたのは、189系・489系と583系でした。今思えば、189・489系は特急「あさま」の合い間運用だったんでしょね。
既にお気付きと事と思うが、583系のMM'ユニットが逆。つまり編成が方転した形となってます。M'n(モハネ582)は上野方で、編成はTnc3+M'n+Mn+M'n+Mn+Ts(+M'n+Mn+Tn)+M'n+Mn+Tnc3と記憶しています。
もし189・489系が国鉄色であったなら、上越特急を彷彿さた事でしょう。

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