三代目 特急おおとりが消えた日
こんばんは。
お越しいただきありがとうございます。
ネタ切れと言う訳ではないのですが、忘れないうちに書き留めておこうと思い、過去のダイヤ改正で消えた特急「おおとり」ネタを。
初代「おおとり」は、サンロクトオで東京ー名古屋間に設定された151系11両編成。東海道新幹線開業により1963年9月30日に消滅。二代目となる「おおとり」は、1964年10月1日に函館ー釧路・網走間の列車名として再スタート。一夜にして東海道特急から北海道特急となりました。80系気動車7+5の12両編成で、釧路行きに食堂車が付属しました。その後の1970年10月1日からは、函館ー網走間の単独運行となりました。そして、食堂車が組み込まれたのは、1972年3月15日から1986年10月31日の上り列車まで続きました。三代目は、1986年11月1日のダイヤ改正から、183系気動車7両編成となりました。しかし、ダイヤ改正の運用上、前日(10月31日)の下り列車は183系気動車で運転されました。迎えた1988年3月13日のダイヤ改正では、札幌駅を境に北斗・オホーツクに系統分割され廃止されました。あれから26年目の日を迎えました。

3027D/函館駅/1988.03.12
撮影や更新リの励みになります。
お帰り際には、ポッチっと「愛の一押し」お願い致します。

ご覧いただきありがとうございました。
またのお越しを、お待ちしております。
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初代「おおとり」は、サンロクトオで東京ー名古屋間に設定された151系11両編成。東海道新幹線開業により1963年9月30日に消滅。二代目となる「おおとり」は、1964年10月1日に函館ー釧路・網走間の列車名として再スタート。一夜にして東海道特急から北海道特急となりました。80系気動車7+5の12両編成で、釧路行きに食堂車が付属しました。その後の1970年10月1日からは、函館ー網走間の単独運行となりました。そして、食堂車が組み込まれたのは、1972年3月15日から1986年10月31日の上り列車まで続きました。三代目は、1986年11月1日のダイヤ改正から、183系気動車7両編成となりました。しかし、ダイヤ改正の運用上、前日(10月31日)の下り列車は183系気動車で運転されました。迎えた1988年3月13日のダイヤ改正では、札幌駅を境に北斗・オホーツクに系統分割され廃止されました。あれから26年目の日を迎えました。

3027D/函館駅/1988.03.12
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