筑波鉄道 キハ810形811
皆様、こんばんは。
お越しいただきありがとうございます。
本日は休日出勤でした。
引き続き筑波鉄道の画像です。
このキハ811も雄別鉄道からやって来た車両でした。
1962年に新潟鉄工所でキハ100形(キハ104・105)として製造されました。全長20.0m・自重31.0t・出力180PSのDMH17BX形エンジンを1台搭載した液体式。側窓は、キハ22形タイプの一段上昇窓となり、化粧室も設置した定員120名・台車はDT22と同形のウィングバネ台車 でした。その後の1966年にはキハ106が増備されました。1970年雄別三山(雄別炭鉱・尺別炭鉱・上茶路炭鉱)の企業ぐるみの閉山に伴い、住み慣れた釧路平野を後に関東鉄道に譲渡されました。譲渡後はキハ810形811~813と付番されました。キハ811・812は筑波線に、キハ813は常総線に配置されました。しかし、キハ812は昭和61年9月の踏切事故で大破し、一足先に廃車となりました。
筑波鉄道廃止後の上大島駅は、茨城県道・栃木県道41号つくば益子線に付け替え整備されました。道幅が広くなっている部分が駅構内部分・ホームや線路跡です。

真壁行 キハ811/上大島駅/1987.03.02
KR/Photoshop CS6 Extended
ご覧いただきありがとうございました。
またのお越しを、お待ちしております。
撮影や更新リの励みになります。
お帰り際には、ポッチっと「愛の一押し」お願い致します。
お越しいただきありがとうございます。
本日は休日出勤でした。
引き続き筑波鉄道の画像です。
このキハ811も雄別鉄道からやって来た車両でした。
1962年に新潟鉄工所でキハ100形(キハ104・105)として製造されました。全長20.0m・自重31.0t・出力180PSのDMH17BX形エンジンを1台搭載した液体式。側窓は、キハ22形タイプの一段上昇窓となり、化粧室も設置した定員120名・台車はDT22と同形のウィングバネ台車 でした。その後の1966年にはキハ106が増備されました。1970年雄別三山(雄別炭鉱・尺別炭鉱・上茶路炭鉱)の企業ぐるみの閉山に伴い、住み慣れた釧路平野を後に関東鉄道に譲渡されました。譲渡後はキハ810形811~813と付番されました。キハ811・812は筑波線に、キハ813は常総線に配置されました。しかし、キハ812は昭和61年9月の踏切事故で大破し、一足先に廃車となりました。
筑波鉄道廃止後の上大島駅は、茨城県道・栃木県道41号つくば益子線に付け替え整備されました。道幅が広くなっている部分が駅構内部分・ホームや線路跡です。

真壁行 キハ811/上大島駅/1987.03.02
KR/Photoshop CS6 Extended
ご覧いただきありがとうございました。
またのお越しを、お待ちしております。
撮影や更新リの励みになります。
お帰り際には、ポッチっと「愛の一押し」お願い致します。

- 関連記事
