三宅島 笠地観音 1984年7月
お越しいただきありがとうございますy
土・日曜日の2日間は、吾妻線70周年記念号が走りました。
DD51のPPに12系5両の編成でした。
それを撮りに準備をし、玄関を出ようとしたら…何かフラフラして来た。
普段なら行ってしまうのだろうが、午後は雷雨の予報が出されていた。
しかも、山の上で雷雨に遭いたくないので、2日間とも中止にしました。
この両日は、エアコンの番人をしていました
本日はバカ○ョン全自動カメラで撮った画像です。
撮影したのは、タイトルにも書きましたが1984年(昭和59年)7月です。
この頃は、新島・式根島・神津島がナ○パ島と呼ばれていたとか?いないとか?
また、都内の有名デパートの水着売り場には、男性用のビキニがありました。
そして、この後バブル景気へと進みました。
さて、本題に…。
日本には、巨樹・名木・珍木など数多くあるようです。
三宅島には、珍木があると言う事を民宿の主に教わり見て回りました。
その内の、笠地観音の珍木をご覧ください。
おそらく、ネット上で初めて見る画像ではないかと思います。

笠地観音にお参りした二人の女性。
ご利益に授かり、きっと幸せな生活を築いているだろう。

画像ソフト:Photoshop CS6 Extended
ご覧いただきありがとうございました。
またのお越しを、お待ちしております。
撮影や更新リの励みになります。
お帰り際には、ポッチっと「愛の一押し」お願い致します。

ストロボの設定がAUTOのまま撮ってしまいました。
案内板の一部が光ってしまったので、書き出してみました。
笠地観音 幸福を招く笠地観音は「子宝」や「安産」を願う方さらに家庭の平和を願う方にごりやくがあると言われ有名である。
御神體は自然が産んだ男女の性器が宿るヤドり木で女性のシンボルは「椎の木」でその中に宿る男性のシンボルは「もちの木」と「櫻」が宿る珍木である。
これを書くにあたり、この場所がどうなったかのかネットで調べた。
雄山の噴火で、ご神木は枯れ観音像は新しい姿となっていた。
その脇には、下記の文字が石版に刻まれていた。
気になる方は、画像検索をしてみてください。
笠地観音の縁起 笠地とはこのあたりの地であり、観音とは観世音菩薩の略称である。
中山金助とお蘭は仲むつまじ夫婦であったが、子宝に恵まれない寂しさがあった。「嫁して三年子無きは去る」という諺が女房のお蘭を苦しめた。お蘭は日頃信仰する観音様に子宝を授けたまと必死に祈願した。ある夜お蘭の枕元に白髪瘦身の老翁が現れ「笠地と云う場所に椎の木があり、その凸所をなでさすり、我が名を称えべしすなわち念願かなうべし」と告げた。お蘭は早速この椎の木を探し凸所にすがって一心に祈ったところ老翁の予言のとおり子宝に恵まれた。
金助・お蘭がお礼のために祀ったのがこの観音で、別名を中山観音とも云う。子授け観音・縁結び観音として署名である。
現在、ご神木となった椎の木は、平成十二年度の噴火被害によって枯れてしまった。
土・日曜日の2日間は、吾妻線70周年記念号が走りました。
DD51のPPに12系5両の編成でした。
それを撮りに準備をし、玄関を出ようとしたら…何かフラフラして来た。
普段なら行ってしまうのだろうが、午後は雷雨の予報が出されていた。
しかも、山の上で雷雨に遭いたくないので、2日間とも中止にしました。
この両日は、エアコンの番人をしていました
本日は
撮影したのは、タイトルにも書きましたが1984年(昭和59年)7月です。
この頃は、新島・式根島・神津島がナ○パ島と呼ばれていたとか?いないとか?
また、都内の有名デパートの水着売り場には、男性用のビキニがありました。
そして、この後バブル景気へと進みました。
さて、本題に…。
日本には、巨樹・名木・珍木など数多くあるようです。
三宅島には、珍木があると言う事を民宿の主に教わり見て回りました。
その内の、笠地観音の珍木をご覧ください。
おそらく、ネット上で初めて見る画像ではないかと思います。

笠地観音にお参りした二人の女性。
ご利益に授かり、きっと幸せな生活を築いているだろう。

画像ソフト:Photoshop CS6 Extended
ご覧いただきありがとうございました。
またのお越しを、お待ちしております。
撮影や更新リの励みになります。
お帰り際には、ポッチっと「愛の一押し」お願い致します。


ストロボの設定がAUTOのまま撮ってしまいました。
案内板の一部が光ってしまったので、書き出してみました。
御神體は自然が産んだ男女の性器が宿るヤドり木で女性のシンボルは「椎の木」でその中に宿る男性のシンボルは「もちの木」と「櫻」が宿る珍木である。
これを書くにあたり、この場所がどうなったかのかネットで調べた。
雄山の噴火で、ご神木は枯れ観音像は新しい姿となっていた。
その脇には、下記の文字が石版に刻まれていた。
気になる方は、画像検索をしてみてください。
中山金助とお蘭は仲むつまじ夫婦であったが、子宝に恵まれない寂しさがあった。「嫁して三年子無きは去る」という諺が女房のお蘭を苦しめた。お蘭は日頃信仰する観音様に子宝を授けたまと必死に祈願した。ある夜お蘭の枕元に白髪瘦身の老翁が現れ「笠地と云う場所に椎の木があり、その凸所をなでさすり、我が名を称えべしすなわち念願かなうべし」と告げた。お蘭は早速この椎の木を探し凸所にすがって一心に祈ったところ老翁の予言のとおり子宝に恵まれた。
金助・お蘭がお礼のために祀ったのがこの観音で、別名を中山観音とも云う。子授け観音・縁結び観音として署名である。
現在、ご神木となった椎の木は、平成十二年度の噴火被害によって枯れてしまった。
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