キハ82乗り鉄の旅 序
車両総数384両。
四国を除く北海道から九州の主要非電化幹線に、その姿を見る事ができたキハ80系気動車特急。70年代になると、主要非電化幹線の電化やキハ181系の登場で活躍の場を追われ、更に80年に入ると北海道ではキハ183系量産型が登場し、80系気動車の牙城が崩れた。86年11月のダイヤ改正で道内から80系気動車が消える。その前に、道内を走る80系気動車に乗っておこうと思い立ちました。鉄道の旅は実に6年と6ヶ月ぶり。その間どこにも行けなかった訳ではないが、特に都内で学生生活をしていた時は、時間があっても先立つ物の余裕がなく、中型バイクで首都高速都心環状線(C1)を、週一のペースでグルグルするのが楽しみだった。今で言うルーレット族と言った所だろうか? その後、実家に戻り家業を継ぐも、父親の急死で廃業。そして、就職。
予定を立てたのが85年12月。その時の定期運用は、北海1・4号、おおぞら3・8号、オホーツク5・2号・おおとりの4列車となっていました。そのうちの、『オホーツク5・2号・おおとり』は昼行特急列車で唯一食堂車を連結しており、ここで、譲れないのが693.2kmの道のりを10時間19分の時間をかけて走る上り『おおとり』に乗り、食堂車で流れる風景を見ながら食事を摂る事です。(ちなみに下りの所要時間は10時間9分)ここから時刻表とのニラメッコの日々が始まりました。首都圏から札幌の旅客シェアーは、昭和40~41年くらいで航空機の輸送量が鉄道を逆転したいてようですが、当時の羽田-札幌の往復航空運賃は46000円。それに北海道ニューワイド周遊券(5日間用)12100円と道内の指定席特急料金が14700円の合計72800円也。特急の自由席を使えば58100円となるが、乗れればイイと言う事ではないので座席指定は外せない。そして、比較的早い時間帯の搭乗となると、都内に前泊か空港までマイカーで行くしかない。この時の東北自動車道は首都高速に接続しておらず、浦和ICで降り一般道を走らなければならない煩わしさがあった。なので早々に空路は却下する事にしました。
さて、どうしたら効率良く回れるだろう。この時の80系気動車は函館運転所配置。まずは運用と予備編成を含めた編成総数を知る事だと考えた。11D⇒33D⇒38D⇒14D(函館⇒札幌⇒帯広⇒札幌⇒函館)DcDDDDsDc×2本(1本)。3027D⇒22D⇒25D⇒3028D(函館⇒網走(泊)⇒札幌⇒網走(泊)⇒函館)の基本編成DcDdDsDDDDc×4本(3本)と函館⇒北見の付属編成のDcD×3本(2本)。そして、季節運転の6007D⇒6004D(函館⇒札幌(泊)⇒函館)DcDsDDDc×1本である事が分かった。
北海・おおぞらで1日+オホーツク、おおとり、北斗でそれぞれ1日の計4日。1日目北海1号(11D)⇒おおぞら3号(33D)⇒おおぞら6号(36D)⇒オホーツク5号(25D)網走泊。2日目オホーツク2号(22D)⇒おおとり(3027D)網走泊。3日目おおとり(3028D)⇒41レ車中泊。4日目北斗4号(6004D)⇒帰路の予定を立てました。この時の、函館運転所のキシ80は23・26・27・29・31・34・35・36・37の9台あり、このうちの4台は編成に組み込まれているのだから、この予定で行くと3台のキシ80でご飯などが楽しめる。是が非でも4日の休みを取らなけれは・・。
当時サービス業に従事しており、一番格下ながらも役付きの身。しかも、年に一度か二度の平日3日間の休暇が関の山。2日間の休暇でさえまともに取れず、鉄より車を乗り回す機会が多かった。特に年末年始・ゴールデンウィーク・お盆・三連休・週末は、余程の事態が起こらない限り休暇を取る事ができない。そんな中、冬休みが終わった辺りから、2月末にかけて比較的休暇が取り易い時期になる。この年の成人の日(15日)が平日ど真ん中と言う事もあり連休にならないのが救いでした。公休+代休+有給休暇+特別休暇の組み合わせで4日間の休暇を申請。しかし、人員のやり繰りが難しく結局3日間の休暇+1時間の早退と言う事に決まりました。最大の難点の休暇をクリアしたので、あとは資金と旅行会社。交通費と宿泊費で福沢諭吉7枚分、それに朝・昼・晩の一食の食事代に夏目漱石1枚分で3日間で福沢諭吉1枚分。お土産代を含めて10枚の福沢諭吉があればと『どんぶり勘定』 なぜ?そんな大まかな計算をしたかと言うと、前年の年末調整の還付金がお国から舞い込みました。自分が納めたとは言え、なんと費用の半分強の金額が戻って来たので、嬉しさは一入でした。
残るは旅行会社探し。
我が町には、国鉄と私鉄の駅があるが旅行会社はない。勤務先にも国鉄と私鉄の駅があるが旅行会社はない。家から東に行けば中堅の旅行会社。その反対に、西に行けば名が通っている大手の旅行会社が2社ある。どちらを選択しても距離は余り変わらない。出勤の都合上、中堅の旅行会社に申し込んだ。後日ワイド周遊券や指定席特急券を取りに行くと、福沢諭吉7枚分+7.20g硬貨1枚+4.8g硬貨1枚の思った以上の金額(¥70600)を請求されました。予め計算した金額は、福沢諭吉6枚分弱。福沢諭吉1枚分と夏目漱石1枚分+小銭ジャラジャラの差額(¥11260)のはず。どこをどうしたらこんな金額になるんだろうなぁ? いくらC制でも、余分な料金は支払いたくありません。やはり大手旅行会社に行っとけば。と後悔しつつ、出勤時間を気にしながら金額を確認する事に。先ずは、この北海道ワイド周遊券の発売日が、10月1日~3月31日は2割引になる事。新幹線⇒『はつかり』⇒『函館発の特急』に乗り継ぐと、はつかり・函館発の特急料金が半額になる事・『函館着の特急』⇒『はつかり・白鳥等』に乗り継ぐと、函館着の特急料金が半額になる事すら知らない。時刻表の後ろに掲載されている、国鉄の営業案内を見せながら説明をする羽目になった。大手第2位の民鉄の旅行会社だから仕方がない。と言ってしまえば、それまでかも知れないが、ここの支店だけが勉強不足だったと思いたい・・。

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四国を除く北海道から九州の主要非電化幹線に、その姿を見る事ができたキハ80系気動車特急。70年代になると、主要非電化幹線の電化やキハ181系の登場で活躍の場を追われ、更に80年に入ると北海道ではキハ183系量産型が登場し、80系気動車の牙城が崩れた。86年11月のダイヤ改正で道内から80系気動車が消える。その前に、道内を走る80系気動車に乗っておこうと思い立ちました。鉄道の旅は実に6年と6ヶ月ぶり。その間どこにも行けなかった訳ではないが、特に都内で学生生活をしていた時は、時間があっても先立つ物の余裕がなく、中型バイクで首都高速都心環状線(C1)を、週一のペースでグルグルするのが楽しみだった。今で言うルーレット族と言った所だろうか? その後、実家に戻り家業を継ぐも、父親の急死で廃業。そして、就職。
予定を立てたのが85年12月。その時の定期運用は、北海1・4号、おおぞら3・8号、オホーツク5・2号・おおとりの4列車となっていました。そのうちの、『オホーツク5・2号・おおとり』は昼行特急列車で唯一食堂車を連結しており、ここで、譲れないのが693.2kmの道のりを10時間19分の時間をかけて走る上り『おおとり』に乗り、食堂車で流れる風景を見ながら食事を摂る事です。(ちなみに下りの所要時間は10時間9分)ここから時刻表とのニラメッコの日々が始まりました。首都圏から札幌の旅客シェアーは、昭和40~41年くらいで航空機の輸送量が鉄道を逆転したいてようですが、当時の羽田-札幌の往復航空運賃は46000円。それに北海道ニューワイド周遊券(5日間用)12100円と道内の指定席特急料金が14700円の合計72800円也。特急の自由席を使えば58100円となるが、乗れればイイと言う事ではないので座席指定は外せない。そして、比較的早い時間帯の搭乗となると、都内に前泊か空港までマイカーで行くしかない。この時の東北自動車道は首都高速に接続しておらず、浦和ICで降り一般道を走らなければならない煩わしさがあった。なので早々に空路は却下する事にしました。
さて、どうしたら効率良く回れるだろう。この時の80系気動車は函館運転所配置。まずは運用と予備編成を含めた編成総数を知る事だと考えた。11D⇒33D⇒38D⇒14D(函館⇒札幌⇒帯広⇒札幌⇒函館)DcDDDDsDc×2本(1本)。3027D⇒22D⇒25D⇒3028D(函館⇒網走(泊)⇒札幌⇒網走(泊)⇒函館)の基本編成DcDdDsDDDDc×4本(3本)と函館⇒北見の付属編成のDcD×3本(2本)。そして、季節運転の6007D⇒6004D(函館⇒札幌(泊)⇒函館)DcDsDDDc×1本である事が分かった。
北海・おおぞらで1日+オホーツク、おおとり、北斗でそれぞれ1日の計4日。1日目北海1号(11D)⇒おおぞら3号(33D)⇒おおぞら6号(36D)⇒オホーツク5号(25D)網走泊。2日目オホーツク2号(22D)⇒おおとり(3027D)網走泊。3日目おおとり(3028D)⇒41レ車中泊。4日目北斗4号(6004D)⇒帰路の予定を立てました。この時の、函館運転所のキシ80は23・26・27・29・31・34・35・36・37の9台あり、このうちの4台は編成に組み込まれているのだから、この予定で行くと3台のキシ80でご飯などが楽しめる。是が非でも4日の休みを取らなけれは・・。
当時サービス業に従事しており、一番格下ながらも役付きの身。しかも、年に一度か二度の平日3日間の休暇が関の山。2日間の休暇でさえまともに取れず、鉄より車を乗り回す機会が多かった。特に年末年始・ゴールデンウィーク・お盆・三連休・週末は、余程の事態が起こらない限り休暇を取る事ができない。そんな中、冬休みが終わった辺りから、2月末にかけて比較的休暇が取り易い時期になる。この年の成人の日(15日)が平日ど真ん中と言う事もあり連休にならないのが救いでした。公休+代休+有給休暇+特別休暇の組み合わせで4日間の休暇を申請。しかし、人員のやり繰りが難しく結局3日間の休暇+1時間の早退と言う事に決まりました。最大の難点の休暇をクリアしたので、あとは資金と旅行会社。交通費と宿泊費で福沢諭吉7枚分、それに朝・昼・晩の一食の食事代に夏目漱石1枚分で3日間で福沢諭吉1枚分。お土産代を含めて10枚の福沢諭吉があればと『どんぶり勘定』 なぜ?そんな大まかな計算をしたかと言うと、前年の年末調整の還付金がお国から舞い込みました。自分が納めたとは言え、なんと費用の半分強の金額が戻って来たので、嬉しさは一入でした。
残るは旅行会社探し。
我が町には、国鉄と私鉄の駅があるが旅行会社はない。勤務先にも国鉄と私鉄の駅があるが旅行会社はない。家から東に行けば中堅の旅行会社。その反対に、西に行けば名が通っている大手の旅行会社が2社ある。どちらを選択しても距離は余り変わらない。出勤の都合上、中堅の旅行会社に申し込んだ。後日ワイド周遊券や指定席特急券を取りに行くと、福沢諭吉7枚分+7.20g硬貨1枚+4.8g硬貨1枚の思った以上の金額(¥70600)を請求されました。予め計算した金額は、福沢諭吉6枚分弱。福沢諭吉1枚分と夏目漱石1枚分+小銭ジャラジャラの差額(¥11260)のはず。どこをどうしたらこんな金額になるんだろうなぁ? いくらC制でも、余分な料金は支払いたくありません。やはり大手旅行会社に行っとけば。と後悔しつつ、出勤時間を気にしながら金額を確認する事に。先ずは、この北海道ワイド周遊券の発売日が、10月1日~3月31日は2割引になる事。新幹線⇒『はつかり』⇒『函館発の特急』に乗り継ぐと、はつかり・函館発の特急料金が半額になる事・『函館着の特急』⇒『はつかり・白鳥等』に乗り継ぐと、函館着の特急料金が半額になる事すら知らない。時刻表の後ろに掲載されている、国鉄の営業案内を見せながら説明をする羽目になった。大手第2位の民鉄の旅行会社だから仕方がない。と言ってしまえば、それまでかも知れないが、ここの支店だけが勉強不足だったと思いたい・・。

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