窓の外は雨 国鉄最後のダイヤ改正まで42日
1986年9月20日(土曜日)
前夜の天気予報で雨になるのは分かってはいたが、目を覚ますと外は生憎の雨。傘を差しながら2泊した余部YHの坂を下り、今度は餘部駅へのつづら折の上らなくではならない。そう考えると朝から気分が落ち込みます。その時、もう一泊の考えが頭を過ぎりましたが傘を差しながらの撮影は、保津峡で懲りたので移動する事にしました。

<2014.04.08画像追加>
幸いな事に朝食を頼んでいないので、餘部駅に停車する下り2番列車鳥取行きに乗る事にしました。雨の中カメラを出すのが面倒だったのでしょう車内補充券を購入しました。乗車した列車は旧型客車ではな気動車でした。

餘部から約30分岩美駅に到着。ここでは、米子発福知山行き526レの交換待ち合わせで約10分の停車。その間に入場券を買い行こうっと。こう言う時の10分は短いもので発車の時刻に・・。この列車の終着駅鳥取は三駅先だ。

岩美駅を出発して二つ目、鳥取駅のひとつ手前の福部駅。ここでは米子駅7:00発のあさしお4号と行き違い交換。ここ福部駅は珍しい駅で、ホームに何番線と言う番線標はなく上・下で表記しています。また、今では見かけなくなった便所LAVATORYと書かれた琺瑯看板があります。

<あさしお4号 キハ181-23>
鳥取では10分の乗り継ぎ待ち合わせで、米子行き261Dに乗車。鳥取から2時間弱の乗車で米子駅に到着。山陰本線の要衝の駅である事をいくつもの留置線で読み取れます。ここから境港駅に行こうと考えましたが、1時間以上列車がないので、益田行き普通列車439レに乗り込み更に西に向かう事にしました。

<キハ181-10>
米子から50系客車に揺られ12時17分出雲市駅に着きました。この列車の出雲市発車時刻は13時13分。1時間近い停車時間がありました。その停車時間に1番線には米子行きおき2号・2番線は益田行き439レ・3番線には博多行きいそかぜ号・留置線の旧型客車との並びが見られました。
このまま益田行き439レに揺られて西に向かうのも悪くはないのですが、廃止対象路線の大社線に乗って大社駅に行ってみようと思いました。

<キハ181-19 DD51-1106>
線内折り返し運転のため、大社行きの列車は0番線が専用ホームです。
1・3番線のキハ181系は発車して行き益田行き439レがポツンと停車中です。

廃止対象路線にしては日に15往復の運転とは驚きです。

サボも撮っておきましょう。

乗車記念に車内補充兼を購入しました。

出雲市駅から7.5km時間にして12分。出雲大社を模したつくりの大社駅に到着しました。雨の中に佇む和風木造の駅舎に、威風堂々さを感じました。

開業当時は出札窓口として使われたようですが、
立ち寄った時には観光案内所として使われていました。

独特な形をした照明と発車時刻表。

2・3番線の島式ホームには名所案内標が建っていました。更に3番線の奥には機回し線があり、出雲大社への玄関口の駅としての繁栄の跡を垣間見ました。

駅舎側の駅名表。その右横の柱には、電話333番と書かれたプレートがありました。

旅の記録を残す方法として下車印集めも一つの手段ですが入場券を購入しました。

出雲市13時45分発の157Dが到着し、折り返し14時7分発158Dとなります。腕木式信号機と木造の詰所が懐かしく、古き良き時代の風景です。この後の列車でも、目的地には十分間に合うのですが、未だこの時間になっても、お昼ご飯を食べていないので、この列車で出雲市駅に戻ります。

<キハ402001>
復路も補充券を買い求めました。

出雲市駅界隈で昼食を済ませ西へと向かいます。山陰ワイド周遊券の西端は長門市駅(仙崎駅)まで行けるのですが、山口線は周遊外の路線になるため益田駅~小郡駅までの乗車券と由席特急券を車内で購入しました。

特急おき5号の自
出雲市からキハ181のサウンドを楽しみ19時過ぎに小郡駅に到着。

現在のようにネット検索の無い時代。駅に降り立ち近い所のホテルにアポ電。駅南口から3分ほどの所にあるBHに宿泊。客室からは新幹線ホームの一部を見る事が出来ました。今となってはホテルの名前もわからないうえに、駅前の再開発を行ったようで当時の面影はない。しかし、左手に見える鹿島建設の看板がかかるビルは残り”北九州予備校”となり残っている。そのビルを手掛かりに宿泊したホテルは現在大手のチェーンホテルが立っている場所と分かった。

1990年(平成2年)3月17日・18日の両日、C57-1とその客車を使用したSL大社号が臨時列車として運転されました。
17日の訪問記はこちらからどうぞ。
17日の動画はこちらからどうぞ
18日の訪問記はこちらからどうぞ。
18日の動画はこちらからどうぞ
----------------------------------足跡----------------------------------
餘部7:36(171D)⇒鳥取8:45/8:55(231D)⇒米子10:52/11:00(439レ)⇒出雲市12:17/13:04(155D)⇒大社13:16/14:07(158D)⇒出雲市14:20/15:17(特急おき5号/1025D)⇒小郡(新山口)19:22

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前夜の天気予報で雨になるのは分かってはいたが、目を覚ますと外は生憎の雨。傘を差しながら2泊した余部YHの坂を下り、今度は餘部駅へのつづら折の上らなくではならない。そう考えると朝から気分が落ち込みます。その時、もう一泊の考えが頭を過ぎりましたが傘を差しながらの撮影は、保津峡で懲りたので移動する事にしました。

<2014.04.08画像追加>
幸いな事に朝食を頼んでいないので、餘部駅に停車する下り2番列車鳥取行きに乗る事にしました。雨の中カメラを出すのが面倒だったのでしょう車内補充券を購入しました。乗車した列車は旧型客車ではな気動車でした。

餘部から約30分岩美駅に到着。ここでは、米子発福知山行き526レの交換待ち合わせで約10分の停車。その間に入場券を買い行こうっと。こう言う時の10分は短いもので発車の時刻に・・。この列車の終着駅鳥取は三駅先だ。

岩美駅を出発して二つ目、鳥取駅のひとつ手前の福部駅。ここでは米子駅7:00発のあさしお4号と行き違い交換。ここ福部駅は珍しい駅で、ホームに何番線と言う番線標はなく上・下で表記しています。また、今では見かけなくなった便所LAVATORYと書かれた琺瑯看板があります。

<あさしお4号 キハ181-23>
鳥取では10分の乗り継ぎ待ち合わせで、米子行き261Dに乗車。鳥取から2時間弱の乗車で米子駅に到着。山陰本線の要衝の駅である事をいくつもの留置線で読み取れます。ここから境港駅に行こうと考えましたが、1時間以上列車がないので、益田行き普通列車439レに乗り込み更に西に向かう事にしました。

<キハ181-10>
米子から50系客車に揺られ12時17分出雲市駅に着きました。この列車の出雲市発車時刻は13時13分。1時間近い停車時間がありました。その停車時間に1番線には米子行きおき2号・2番線は益田行き439レ・3番線には博多行きいそかぜ号・留置線の旧型客車との並びが見られました。
このまま益田行き439レに揺られて西に向かうのも悪くはないのですが、廃止対象路線の大社線に乗って大社駅に行ってみようと思いました。

<キハ181-19 DD51-1106>
線内折り返し運転のため、大社行きの列車は0番線が専用ホームです。
1・3番線のキハ181系は発車して行き益田行き439レがポツンと停車中です。

廃止対象路線にしては日に15往復の運転とは驚きです。

サボも撮っておきましょう。

乗車記念に車内補充兼を購入しました。

出雲市駅から7.5km時間にして12分。出雲大社を模したつくりの大社駅に到着しました。雨の中に佇む和風木造の駅舎に、威風堂々さを感じました。

開業当時は出札窓口として使われたようですが、
立ち寄った時には観光案内所として使われていました。

独特な形をした照明と発車時刻表。

2・3番線の島式ホームには名所案内標が建っていました。更に3番線の奥には機回し線があり、出雲大社への玄関口の駅としての繁栄の跡を垣間見ました。

駅舎側の駅名表。その右横の柱には、電話333番と書かれたプレートがありました。

旅の記録を残す方法として下車印集めも一つの手段ですが入場券を購入しました。

出雲市13時45分発の157Dが到着し、折り返し14時7分発158Dとなります。腕木式信号機と木造の詰所が懐かしく、古き良き時代の風景です。この後の列車でも、目的地には十分間に合うのですが、未だこの時間になっても、お昼ご飯を食べていないので、この列車で出雲市駅に戻ります。

<キハ402001>
復路も補充券を買い求めました。

出雲市駅界隈で昼食を済ませ西へと向かいます。山陰ワイド周遊券の西端は長門市駅(仙崎駅)まで行けるのですが、山口線は周遊外の路線になるため益田駅~小郡駅までの乗車券と由席特急券を車内で購入しました。

特急おき5号の自
出雲市からキハ181のサウンドを楽しみ19時過ぎに小郡駅に到着。

現在のようにネット検索の無い時代。駅に降り立ち近い所のホテルにアポ電。駅南口から3分ほどの所にあるBHに宿泊。客室からは新幹線ホームの一部を見る事が出来ました。今となってはホテルの名前もわからないうえに、駅前の再開発を行ったようで当時の面影はない。しかし、左手に見える鹿島建設の看板がかかるビルは残り”北九州予備校”となり残っている。そのビルを手掛かりに宿泊したホテルは現在大手のチェーンホテルが立っている場所と分かった。

1990年(平成2年)3月17日・18日の両日、C57-1とその客車を使用したSL大社号が臨時列車として運転されました。
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18日の訪問記はこちらからどうぞ。
18日の動画はこちらからどうぞ
----------------------------------足跡----------------------------------
餘部7:36(171D)⇒鳥取8:45/8:55(231D)⇒米子10:52/11:00(439レ)⇒出雲市12:17/13:04(155D)⇒大社13:16/14:07(158D)⇒出雲市14:20/15:17(特急おき5号/1025D)⇒小郡(新山口)19:22
前日まで | 本日乗車分 | 積算距離 | |
民営鉄道 | 90.5km | 0km | 90.5km |
国鉄線 | 792.4km | 436.2km | 1228.6km |
乗車距離 | 882.9km | 436.2km | 1319.1km |

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