新ダイヤ 5日目
1986年11月5日(水曜日)
時期外れのYHにもお仲間さんがいたので、この日は途中だけご一緒する事に。天北線の廃止予定になっていたので、稚内で駅弁を買い込み乗車しました。南稚内で宗谷本線と分かれると、音威子府まで150km弱の区間に九つの仮乗降場があり、中でも飛行場前と寿が今でも記憶に残っています。音威子府からは急行『天北』に乗って名寄まで来ました。道内屈指の閑散ローカル線、営業係数はいつでもワースト10に入っている深名線に乗車する事にしました。
時期外れのYHにもお仲間さんがいたので、この日は途中だけご一緒する事に。天北線の廃止予定になっていたので、稚内で駅弁を買い込み乗車しました。南稚内で宗谷本線と分かれると、音威子府まで150km弱の区間に九つの仮乗降場があり、中でも飛行場前と寿が今でも記憶に残っています。音威子府からは急行『天北』に乗って名寄まで来ました。道内屈指の閑散ローカル線、営業係数はいつでもワースト10に入っている深名線に乗車する事にしました。
一度改札を出て入場券を買ってからホームに向かうとキハ22がポツンと止まっていた。発車まで15分くらいの時間があった。既に車内には学生10名くらいと年配の方が2・3名乗車していました。さて乗り込もうと扉の取っ手に手を掛けると…。扉が開かない!?あれ?前の扉に行ってみても開かない!どうやって乗ったのだろう?どうやら乗客はエアーが込められた状態の扉を無理やり抉じ開けて乗ったようだ。発車時刻10分くらい前に運転手と車掌がやって来てその光景を見て苦笑してました。
西名寄・天塩弥生と停車し、次の北母子里まで駅間15.6kmの峠越え。天塩弥生を出て峠を上り始めると小雪が舞い辺りは薄暗くなり心細さと感じながらもキハ22はゆっくりながらも右に左にと連続したカーブでサミットを目指して進みました。ひとつ目のトンネルを過ぎた辺りから、線路の両脇には雪が積もってました。そして、二つ目の中ノ沢トンネルを過ぎた辺りの上り坂で突然止まってしまいました。お分かりと思いますが、レール面に積もった雪で空転してしまったのです。そこで、乗客の皆さん。車両の前の方に移動をしてください。と車内放送。それでも、後退しては前進を何度となく繰り返し、やっとの思いで名雨トンネルに入った時に車内では安堵の声が上がりました。
ビデオの時の光景をビデオに納めてますが、車掌との会話が入っているので動画アップは予定していません。

そんなこんなで、この時点で30分くらいの遅れになっていました。
北母子里の駅名表は撮れなかったものの、
白樺ではちょうど良い所に止まったので、窓を開けて全自動カメラで納めました。

駅名表下の時刻とお知らせ部分を拡大してみました。

何事もなければここ朱鞠内で5分の停車時間があるので入場券などを購入と
予定していましたが、このハプニングではそんな悠著な事は言ってられません。

下り最終列車が到着を待っていました。
名寄では雪なんて降ってもいなかったし積もってもいなかったのに、
ここではスノープラウギリギリまで雪が積もっていました。
朱鞠内での停車もそこそこに深川へと発車しました。線路規格が低いものの、今までと違う速度で回復運転に入り,幌加内を出てから『ライラック26号』への乗り継ぎを客の有無を聞き回り、その時の車内にはオイラを含めて二人いました。多度志を出た時には20分の遅れ、ハプニンがなければ深川に到着している19時5分。前夜YHで知り合ったお仲間さんと『ライラック26号』の自由席車両で合流予定でした。もし、何か予定通り行かなかったら次の列車で札幌に向かいます。と言って別れた事が現実になりそう…。しかし、無線で連絡したのか特急への接続をしますと車内放送。いつもワースト10に入っているローカル列車が、本線の特急を待たせ接続させる。の措置に、国鉄マンの意気込みを垣間見たようでした。そして18分遅れの19時23到着。お世話になった車掌にお礼を言って階段を駆け登り息を切らし『ライラック26号』に乗車。お仲間さんと合流でき、列車は5分遅れで札幌に向かいました。
廃止から13年の時が経ち深名線の乗車券や入場券は手元に残せなかったものの、深名線の厳しさを知る貴重な体験?ができ、昨日のような出来事で残っています。

弘済出版社(交通新聞社)道内時刻表’86年11月号から抜粋



--------------------足跡---------------------
昭和61年11月5日(水)
稚内10:15(724D/天北線経由)⇒音威子府13:49/14:45(304レ/天北)⇒名寄15:41/16:00(944D)⇒朱鞠内(928D)⇒深川19:05/19:21(1026M/ライラック26号)⇒札幌20:37

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西名寄・天塩弥生と停車し、次の北母子里まで駅間15.6kmの峠越え。天塩弥生を出て峠を上り始めると小雪が舞い辺りは薄暗くなり心細さと感じながらもキハ22はゆっくりながらも右に左にと連続したカーブでサミットを目指して進みました。ひとつ目のトンネルを過ぎた辺りから、線路の両脇には雪が積もってました。そして、二つ目の中ノ沢トンネルを過ぎた辺りの上り坂で突然止まってしまいました。お分かりと思いますが、レール面に積もった雪で空転してしまったのです。そこで、乗客の皆さん。車両の前の方に移動をしてください。と車内放送。それでも、後退しては前進を何度となく繰り返し、やっとの思いで名雨トンネルに入った時に車内では安堵の声が上がりました。
ビデオの時の光景をビデオに納めてますが、車掌との会話が入っているので動画アップは予定していません。

そんなこんなで、この時点で30分くらいの遅れになっていました。
北母子里の駅名表は撮れなかったものの、
白樺ではちょうど良い所に止まったので、窓を開けて全自動カメラで納めました。

駅名表下の時刻とお知らせ部分を拡大してみました。

何事もなければここ朱鞠内で5分の停車時間があるので入場券などを購入と
予定していましたが、このハプニングではそんな悠著な事は言ってられません。

下り最終列車が到着を待っていました。
名寄では雪なんて降ってもいなかったし積もってもいなかったのに、
ここではスノープラウギリギリまで雪が積もっていました。
朱鞠内での停車もそこそこに深川へと発車しました。線路規格が低いものの、今までと違う速度で回復運転に入り,幌加内を出てから『ライラック26号』への乗り継ぎを客の有無を聞き回り、その時の車内にはオイラを含めて二人いました。多度志を出た時には20分の遅れ、ハプニンがなければ深川に到着している19時5分。前夜YHで知り合ったお仲間さんと『ライラック26号』の自由席車両で合流予定でした。もし、何か予定通り行かなかったら次の列車で札幌に向かいます。と言って別れた事が現実になりそう…。しかし、無線で連絡したのか特急への接続をしますと車内放送。いつもワースト10に入っているローカル列車が、本線の特急を待たせ接続させる。の措置に、国鉄マンの意気込みを垣間見たようでした。そして18分遅れの19時23到着。お世話になった車掌にお礼を言って階段を駆け登り息を切らし『ライラック26号』に乗車。お仲間さんと合流でき、列車は5分遅れで札幌に向かいました。
廃止から13年の時が経ち深名線の乗車券や入場券は手元に残せなかったものの、深名線の厳しさを知る貴重な体験?ができ、昨日のような出来事で残っています。

弘済出版社(交通新聞社)道内時刻表’86年11月号から抜粋



--------------------足跡---------------------
昭和61年11月5日(水)
稚内10:15(724D/天北線経由)⇒音威子府13:49/14:45(304レ/天北)⇒名寄15:41/16:00(944D)⇒朱鞠内(928D)⇒深川19:05/19:21(1026M/ライラック26号)⇒札幌20:37
前日まで | 本日乗車分 | 積算距離 | |
民営鉄道 | 236.9km | 0.0km | 236.9km |
国鉄線 | 12327.7km | 433.1km | 12760.8km |
乗車距離 | 12564.6km | 433.1km | 12997.7km |

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