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弾痕の残る橋とタンクとかつての汽車道

今日は29.5℃まで気温が上がり暑かったです。
それでも奥日光の”竜頭の滝”は見頃を迎えているとか!?
今度の水曜日は雨の確立80%の予報だから”いろは坂”は走りずらいだろし
日光の紅葉狩りを止めて来月京都へ行くのも悪くないなぁ…。
本日もお越しいただきありがとうございます。

今日も沖縄旅行記の続きです。
へこんでいても仕方ないのでひとまず糸満へと車を向け30分ほどで糸満小学校の近くのとある場所に到着。そこにはかつて駅のトイレが残っていた住宅街の中。沖縄で駅のトイレ?と思われますが戦前まで沖縄県営鉄道(通称:ケービン)が走っていた時の遺構。何度目かの沖縄旅行の時にその存在は知っていたが足を向けず今日に至ってしまった。だが、その糸満線の遺構であるトイレは10年近く前に解体されたという。
今更ながらトイレは跡形もなく更地になっているとの事だが県道糸満与那原線から少し入った所なので見ておくことにしました。
itoman_1.jpg

そして、もう一つの遺構を見に県道糸満与那原線を北上し道路から折れた農道脇に停車。糸満方面を振り返ると朱色の屋根の建物”JAおきなわ糸満”に続く一直線の怪しげな空間。この建物の駐車場に兼城駅があったと言われています。
20200915_4054_1.jpg

道路の一段低い緑が茂るその場所に三角橋は埋もれていた。
その姿を見るのはサトウキビが刈られた春頃が良いでしょう。
20200915_4053.jpg

その怪しい空間の反対側の風景がこちらです。
もうお気付きですね!農道化した糸満線の線路跡に駐車しました。
この農道を進んで行く事にしましょう。
20200915_4056.jpg

農道化した汽車道は900mほどで県道糸満与那原線と交差し、その先50mほどでT字路となり汽車道は畑に化けています。県道と交差するまで農道を走りり高嶺駅があった場所に向かいました。
与座交差点近くの道端に2m程もある石柱が二本建っています。かつてこの場所には”高嶺製糖工場”があり、この柱は工場の入り口にあった門柱です。その右側の門柱には社名を掲げたプレートを付けていたのでしょうか?何かを付けていたと思われる跡がありました。
門から入った右手には売物件の幟が立っていましたがお高いんでしょうね?
では、生活道路を通り抜けて高嶺駅があった場所へと行ってみましょう。
20200915_4064.jpg

高嶺製糖工場の敷地跡を抜ける左手にあるコンクリート製の水槽。
製糖工場の糖蜜タンクで沖縄戦当時は黒糖を原料としたアルコールを造りはじめ、斬り込み隊や突撃前の士気高揚のために飲まれたようです。そして戦後は水槽として使われています。また、集落の生活道路となった道は沖縄県営鉄道(県鉄)の引込み線の跡だったかも?と言うロマンを秘めています。
20200915_4057.jpg

糖蜜タンクには多くの弾痕が刻み込まれ沖縄戦の凄惨さを肌で感じました。
20200915_4059.jpg

高嶺製糖工場の跡は日本の近代化に貢献した施設として評価され、
経済産業省から”近代化産業遺産”に認定されています。
20200915_4058.jpg

県道52号線を渡ると広い空き地があり当時の高嶺駅に到着です。
駅舎は右手に建ち売店があり隣接する高嶺製糖工場へのキビの搬入、那覇駅への砂糖の積み出しが行われ側線も何本かあったようです。また、戦争前には近隣集落から出征兵士の見送りがあり糸満線の中では大いに賑わったそうです。
20200915_122306.jpg

まだまだ沖縄県営鉄道(ケービン)の跡を追ってみたいと思います。

ご覧いただきありがとうございました。
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鉄道コム
またのお越しを、お待ちしております。
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テーマ:沖縄旅行
ジャンル:旅行

タグ:沖縄県営鉄道三角橋高嶺製糖工場タンク弾痕遺構

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