街中に残るレンガ橋台と枕木
今朝は雨音で目を覚ましたものの肌寒く布団からなかなか抜け出せず。
それもそのはず今日の最高気温は日付が変わった0時01分の19℃。
季節も半月以上進んだ11月上旬の陽気となりました。
そして明日は晴れて24℃予想で気温の変化に付いて行けません。
本日もお越しいただきありがとうございます。
今日は沖縄旅行記に戻ります。
時刻は12時半を過ぎているので那覇市内に向かって高嶺駅跡を後にしました。
この先の線路跡は区画整理され”さとうきび畑”や道路に変り、駅があった場所は民家やコンビニなどが立っています。駅があった場所の訪問は、駐車の問題もありレンタバイクやレンタサイクルが向いていると思われます。
高嶺から県道52号線~県道15号線~国道509号線~県道77号線と走り稲峰交差点を左折し、”幸之一カーブ”へ向かう途中目に入って来た”軽便駅かりゆし市”の看板。近くに駅があったことから名付けられました。

気になるので立ち寄ってみました。
近隣農家が栽培した新鮮な野菜や果物が驚きの価格で販売されていて種類も豊富。農産物の他にもカマボコなどの加工品や健康茶類も販売しているので見ているだけでも楽しくお土産にもなる品もありました。
この場所の南側に沖縄県営鉄道糸満線の稲嶺駅がありました。

時計を見ると13時を少し回っていたので”軽便駅かりゆし市”を出発。
”幸之一カーブ”は目と鼻の先、左折して直ぐの信号を過ぎて右手に入れる道が汽車道。既に線路跡は拡張された舗装道路だがS字カーブの形状を車で感じ取る事が出来ました。予定のルートでは山川~東風平は直線で結ぶようでしたが、当時の有力者であった大城幸之一という人物が自分の出身地へ線路を曲げたと言われています。しかし、直線ルートは丘陵が多く工事費の関係で東に大きく迂回し平坦なルートを取ったのかも知れないと…。
幸之一カーブの一部が未塗装道路として残り遺構と言えます。

この日の宿は恩納村。
遺構巡りを切り上げ”幸之一カーブ”から一番近い南風原南ICからホテルに向かいチェックインと思ったのですが昼食を済ませてないので市内に入りランチタイム。多くの方は”沖縄そば”や”ソーキそば”などの沖縄料理を召し上がるでしょう。しかし、この中の人は試食はしたものの一度も”そば”を完食した事がありません。今度も”そば”を食べずに帰って来たのかい?と同僚に聞かれました。この日の昼食もある思いがあってファストフード店に入りました。このお店の道路を挟んだ反対側に与那原線のレンガ橋台の遺構があり近くに有料駐車場が無い事もあったのがその理由でした。

那覇駅側のレンガ橋台はしっかりと残っています。

国場駅側の橋台は工事で関係でしょうか?割れたりしていました。

昨年”とあるスージー(路地)にて”で触れたアレです。
ファストフード店から徒歩5分足らずに目にする事ができる遺物。それはコンクリート枕木(PC枕木)なんです。この時代の枕木は字の如く木材と言う概念があり戦前にPC枕木を使っていたとは驚きです。軽便鉄道跡は農地や道路そして住宅地になったりしています。再利用できる線路は回収されたものの枕木は邪魔者扱いされ好きに持って行け!状態だったのでしょう。現にこの枕木は正規の方向から線路方向へと90°向きを変えられ余生を送っていました。
さて時刻も14時となり恩納村のホテルへと向いました。

<枕木と分かりやすいように画像の加工をしています>
ご覧いただきありがとうございました。
撮影や更新リの励みになります。
お帰りの際には、ポッチっと「愛の一押し」お願い致します。

またのお越しを、お待ちしております。
それもそのはず今日の最高気温は日付が変わった0時01分の19℃。
季節も半月以上進んだ11月上旬の陽気となりました。
そして明日は晴れて24℃予想で気温の変化に付いて行けません。
本日もお越しいただきありがとうございます。
今日は沖縄旅行記に戻ります。
時刻は12時半を過ぎているので那覇市内に向かって高嶺駅跡を後にしました。
この先の線路跡は区画整理され”さとうきび畑”や道路に変り、駅があった場所は民家やコンビニなどが立っています。駅があった場所の訪問は、駐車の問題もありレンタバイクやレンタサイクルが向いていると思われます。
高嶺から県道52号線~県道15号線~国道509号線~県道77号線と走り稲峰交差点を左折し、”幸之一カーブ”へ向かう途中目に入って来た”軽便駅かりゆし市”の看板。近くに駅があったことから名付けられました。

気になるので立ち寄ってみました。
近隣農家が栽培した新鮮な野菜や果物が驚きの価格で販売されていて種類も豊富。農産物の他にもカマボコなどの加工品や健康茶類も販売しているので見ているだけでも楽しくお土産にもなる品もありました。
この場所の南側に沖縄県営鉄道糸満線の稲嶺駅がありました。

時計を見ると13時を少し回っていたので”軽便駅かりゆし市”を出発。
”幸之一カーブ”は目と鼻の先、左折して直ぐの信号を過ぎて右手に入れる道が汽車道。既に線路跡は拡張された舗装道路だがS字カーブの形状を車で感じ取る事が出来ました。予定のルートでは山川~東風平は直線で結ぶようでしたが、当時の有力者であった大城幸之一という人物が自分の出身地へ線路を曲げたと言われています。しかし、直線ルートは丘陵が多く工事費の関係で東に大きく迂回し平坦なルートを取ったのかも知れないと…。
幸之一カーブの一部が未塗装道路として残り遺構と言えます。

この日の宿は恩納村。
遺構巡りを切り上げ”幸之一カーブ”から一番近い南風原南ICからホテルに向かいチェックインと思ったのですが昼食を済ませてないので市内に入りランチタイム。多くの方は”沖縄そば”や”ソーキそば”などの沖縄料理を召し上がるでしょう。しかし、この中の人は試食はしたものの一度も”そば”を完食した事がありません。今度も”そば”を食べずに帰って来たのかい?と同僚に聞かれました。この日の昼食もある思いがあってファストフード店に入りました。このお店の道路を挟んだ反対側に与那原線のレンガ橋台の遺構があり近くに有料駐車場が無い事もあったのがその理由でした。

那覇駅側のレンガ橋台はしっかりと残っています。

国場駅側の橋台は工事で関係でしょうか?割れたりしていました。

昨年”とあるスージー(路地)にて”で触れたアレです。
ファストフード店から徒歩5分足らずに目にする事ができる遺物。それはコンクリート枕木(PC枕木)なんです。この時代の枕木は字の如く木材と言う概念があり戦前にPC枕木を使っていたとは驚きです。軽便鉄道跡は農地や道路そして住宅地になったりしています。再利用できる線路は回収されたものの枕木は邪魔者扱いされ好きに持って行け!状態だったのでしょう。現にこの枕木は正規の方向から線路方向へと90°向きを変えられ余生を送っていました。
さて時刻も14時となり恩納村のホテルへと向いました。

<枕木と分かりやすいように画像の加工をしています>
ご覧いただきありがとうございました。
撮影や更新リの励みになります。
お帰りの際には、ポッチっと「愛の一押し」お願い致します。

またのお越しを、お待ちしております。
- 関連記事
