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北大東島の廃墟 燐鉱山遺跡

大気が不安定なものの昼過ぎに青空が広がり久々に30℃を超え、この晴れ間利用して洗濯しようかとも考えました。しかし、予報では夕方には雨か雷雨になると言ってたなぁ…。
そして予報通りに雷雨となり警戒レベル3相当が発表されました。
本日もお越しいただきありがとうございます。

中断していた北大東島の旅行記です。
鉱山関連の建物が登録文化財として登録され、2007年度には経済産業省から近代化産業遺産の認定を受け、10年後には”北大東島燐鉱山遺跡”として史跡に指定された北大東島のリン鉱山です。
北大東村のリン鉱山廃墟に興味を持ったのは今から20年ほど前。
その当時、羽田発3泊4日の沖縄本島旅行がレンタカー込みで3万円台で、那覇から北大東島2泊(往復飛行機+民宿)の料金とほぼ同じ。それを考えると容易く行ける島ではありませんでした。その後、スクーバダイビングに興味を持たなければ2005年に足を踏み入れていたと思います。
20220410_2825.jpg

アーチ型の台座には何が乗っていたのでしょう?
20220410_124732.jpg

坂道の途中から燐鉱石貯蔵庫のトンネルを覗くと両サイドには四角い穴があり、そこからトロッコに落とし込んでいたのでしょうか?ちなみに内部は立入禁止となっています。
回り込んで正面に回り込んでみましょう。
20220410_125407.jpg

十数年前までは燐鉱石貯蔵庫海側の壁の一部は残っていたようです。
20210317_0003.jpg
<北大東空港大東ラグーンで売られていたポストカードより>

珊瑚石灰岩で造られている燐鉱石貯蔵庫の前にやって来ました。
海風をもろに受ける場所のため、風化によって崩壊した部分は復元されていました。
20220410_132633.jpg

説明パネルに当時の写真と説明文が掲載されていました。現在の様子からは想像できないほど巨大な施設だったことが分かります。
説明文をお読みになりたい場合は追記をご覧ください。
20220410_132510.jpg

トンネルの近くにはトロッコのレールのような物が散らばっていました。
20220410_131240.jpg

トンネルの横にある四角い入口が気になりますねぇ。
覗いちゃいますか!
20220410_132439.jpg

風化の影響でしょうか?天井に穴が開いていました。
20220410_132131.jpg

堪え切れずに入っちゃいました。
内部の広さは6~8畳程度の広さで、珊瑚石灰岩で作られた壁の一部が緑色に見えるのは燐鉱石の粉末が付着したからでしょうか?
20220410_132203.jpg

桟橋にはトロッコの軌道が残っていました。
20220410_2791.jpg

桟橋越しに荷役中のフェリーだいとうをパシャリと一枚。
20220410_2787.jpg

ご覧いただきありがとうございました。
撮影や更新リの励みになります。
お帰りの際には、ポッチっと「愛の一押し」お願い致します。
鉄道コム
またのお越しを、お待ちしております。
北大東島燐鉱石採掘事業の歴史。
 燐鉱石採掘事業の歴史は、南北大東島の開拓事業に着手した玉置商会が、南大東島では甘蔗農作事業を主に推進したのに対し、北大東島では燐鉱石採掘事業を中心に行った事が始まりでした。玉置商会は、沖縄本島北部の伊是名、宮古、八重諸島から労働者を募り、明治43年(1910年)に階段式の露天掘り採掘事業を開始していました。しかし知識と技術の未熟さから事業を軌道に乗せる事が出来ず、翌年には廃止に追い込まれてしまいました。
 それから約8年後の大正8年(1918年)第一次世界大戦により燐鉱石の価格が暴騰し、沖大東島のラサ鉱業(株)は、全盛期を迎えていました。玉置商会から北大東島の経営権を受け継いだ東洋製糖(株)は、これに刺激を受け沖大東島を視察し、採掘運搬、積込方法などを習い,北大東島での設備工事日着手しました。翌年には燐鉱石貯蔵庫を含む大規模な設備がほぼ完成し、採掘所業は再開されました。

最盛期を偲ぶ、「燐鉱石貯蔵庫跡」。
 採掘した燐鉱石は、洗鉱分別し、トロッコにより乾燥工場に運ばれ、、大型ドライヤー機で乾燥した後、最後に天日干しをして、貯蔵庫で搬出を待ちました。燐鉱石の運搬は、桟橋の先端に象の鼻のように伸びたじょうごから艀におとし、本船に運ぶ方法が取られていました。アルミナ鉄の含有量が多く含まれていた北大東島の燐鉱石は、肥料や火薬の元となる製燐原料の他、戦闘機を作るアルミの原料に適していたことから採掘事業は活気を帯び、最盛期には台湾などからの出稼ぎで島の人口は約4,000人まで膨らみ、年間22,068トンもの燐鉱石を搬出していました。
 戦後、米軍より大型機械化が導入されましたが、手掘りと異なり土や石が一緒に搬入されてしまい品質の評価が落ちました。昭和25年(1950年)には燐鉱所は閉山されました。
 こうして、事業開始以来80万トンの燐鉱石を積み出した燐鉱石採掘事業の歴史に、幕が降ろされたのです。北大東島の歴史の証として1919年に建てられた「燐鉱石貯蔵庫跡」が当時の面影を今に残しています。
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テーマ:廃墟系
ジャンル:写真

タグ:北大東島燐鉱山遺跡燐鉱石貯蔵庫燐鉱石廃墟

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