紀伊半島の私鉄

1990年の夏、松阪駅からレンタカーを借りて紀伊半島を半周しました。79年に夜行列車で通っていますが、新宮以西は1977年8月以来なので、撮影ポイントを探すためと私鉄訪問に延々とR42を南下しました。
2002年12月31日に廃止された今は無き有田鉄道キハ58003です。なぜか有田鉄道のコマだけが退色が激しく、何とか補正でここまでに修正できました。当時も列車本数が少なく、日程の都合もあり記録程度で1列車だけの3コマしか撮っていただけに退色のショックはデカイです。この車両は富士急行より譲渡されたもので、富士急行時代は中央本線との直通用に投入した国鉄キハ58系の仲間で、両運転台だったので有田鉄道では主力車両でした。
有田鉄道を撮り有田YH(有田オレンジYH)に宿泊し紀州鉄道にやって来ました。紀州鉄道と言うと、鉄道会社の他に不動産業・ホテル業を営んでいますが、やはり「鉄道会社の不動産部門」という信用を得るための戦略なんでしょうかねぇ?

元大分交通耶馬渓線の車両で1960年(昭和35年)新潟鐵工所製の車両です。

北条鉄道から大型車導入で余剰となった1985年富士重工業製の軽快気動車フラワ1985形1985-2を譲り受けたので、キハ600形の姿は2000年(平成12年)7月10日からは見られなくなったようです。

画像サイズが違いますが6×7判で撮影したものです

元大分交通耶馬渓線の車両で1960年(昭和35年)新潟鐵工所製の車両です。

北条鉄道から大型車導入で余剰となった1985年富士重工業製の軽快気動車フラワ1985形1985-2を譲り受けたので、キハ600形の姿は2000年(平成12年)7月10日からは見られなくなったようです。

画像サイズが違いますが6×7判で撮影したものです
