
<1987.11月撮影>
渡月橋を境に上流を保津川・下流側を桂川と、呼び名が違うと地元の方から聞いた事がありましたが、河川法では桂川に統一されているのですね。
この桂川は京都市左京区広河原尾花町と南丹市美山町佐々里の境に位置する佐々里峠に発し、この佐々里峠は日本海に注ぐ由良川と桂川の分水嶺で、古くは葛野川(かどの)と呼ばれていた淀川の支流なんですね。また、流れる地域によって上桂川・大堰川・保津川と名前を変えられて呼ばれていたようです。で、WEBで見られる地図でこの名を使っていないかと調べてみると、さすがに上桂川は無かったものの、大堰川・保津川は見つかりましたが拡大すると保津川と言う名称が消えてしまい残念に思いました。
で、過去に撮ったネガに保津川と言う文字が無いかと探してみると・・・。
ありましたぁ!
川の名前を刻んだ保津川橋梁が・・・。
この保津川橋梁は1928年(昭和3年)汽車製造製の橋長84m下路曲弦ワーレントラスの85.3m 1連で二代目の橋梁になるそうです。となると初代は?と気になりませんか・・・。最近この目で見てはいませんが、今でも現存しているようです。場所はJR東海名古屋運転区の名古屋駅側に架かる向野跨線橋が初代保津川橋梁との事です。そして今でも新幹線の海側からの座席からも見えるかも知れません。

キハ47主力が多かった京都口にもDD51牽引の客車も走っていました。
保津川橋梁もさることながら保津峡トンネルの抗門も重厚感を誇っています。

朝の通勤通学時間帯にはキハ47の8両編成がありました。

2011年春にキハ181は引退してしまうのですね。

保津峡駅側には橋梁名は記載されていませんでした。
車両が流れてしまっているのはご勘弁ください。
