汗水と言う水と苦労と言う肥しがたりないみたいです。

花登筺さんの『細うで繁盛記』ゆかりの宿、土肥温泉にある『玉樟園新井』に宿泊して来ました。(既に1週間過ぎてしまいましたが)
40代後半以上の方なら、新玉三千代さん主役のTVドラマ『細うで繁盛記』を覚えているのではないでしょうか?そう言うオイラも眠い目を擦りながら見ていましたよ。今となってはほとんど覚えてもいないし、続編と重なってしまっている部分もありますがね(苦笑
ただ、オープニングの『銭の花の色は・・・』や『ちょっくら! 加代、おみゃーの出る幕じゃーにゃーずら!』とか『加代!おみゃーの言うとおりにゃさせにゃーで!』の台詞は鮮明に残っています。

玉樟園新井さんを入った右側に歌碑が建立されてます。

歌碑の反対側に立てられていた、歌碑を建てたいわれ書きです。
内容は
細うで繁盛記と花登筐先生を偲ぶ
昭和46年1月15日のことでした。
花登筐先生は爛漫と咲きほこる当館の桜をごらんになり、「正月に弥生の桜をみられるとは!」とそのまま逗留なさり、翌日観光関係有志の参集をえて土肥温泉の人情風俗又この地で繁盛した旅館花屋の話など先生は興味深くきかれました。あくる日先生は松原公園を訪ねられ古松をわたる涛の音をききつつここに「海花亭」を想定し「細うで繁盛記」を執筆されました。この歌碑の詞は汗こそ文化の源と汗の貴さを説かれていた先生の御信条を表したものです。先生の心血を注がれた「細うで繁盛記」は東宝で映画化し読売テレビから全国に放映引続き再放送されて日本中を魅了し好評を博し「細うで繁盛記」も成功につれ土肥温泉の名は広く知られ発展をみました。土肥町議会では先生の御人格識見を讃え観光産業への貢献に対し感謝状と共に名誉町民の称を贈りました。しかし天はこの英才に寿齢を与えず病のため昭和58年10月3日天逝されました誠に惜みても余りあることです。時の流れに従い流石の「細うで繁盛記」も人々の記憶から遠ざかりつつあるのを惜しみ、かつて先生とお会いした桜の下に歌碑を建立してこれを永く伝える次第です。
昭和62年4月吉日
土肥温泉 玉樟園 新井 主人敬白

ステレオ 45rpm 細うで繁盛記と書かれていレコードがありました。その存在自体知りませんでした。そして、中身が気になるのはオイラだけでしょうか?

『細うで繁盛記』の台本等がガラスケースの中に、展示保存されています。

松原公園に前に建つ足湯の片隅に、花登筺さんの歌碑があります。
歌碑の内容は、↓の色紙に書かれた歌です。

土肥は湯と金の町 湯の中で砂金がきらきらと眩いばかりの光粒を見せる
銭の花が白く清らかさを持つならば この花は黄金の花粉であろう。

土肥はうれしや 湯の中より 夕焼け富士を肴に酒を汲む
酌するは細うでなれど加代なり 佳人料理は絶世玉手鍋

1976年に島田陽子(島田楊子)さん主演の長崎・雲仙温泉の老舗温泉旅館を舞台にした女性経営者の根性メロ。『細うで繁盛記』のリメイク版の『花ぼうろ』もありました。
